今日は子どもの日!

この連休ずっと部屋の片づけをしている。

アンタッチャブルルームだったので、2日からずっと、一日中やっているが、まだ終わ

らない。何とか発掘みたいで、発見が多くて、過去に生きる男になっていたりして、それはそれでとても面白いのだが・・・。

それで、過去に書いた、文章やら詩らしきものがたくさん出てきた。

これ、自分で書いたのか?思い出せないものもあったが、今とは違うテンションだったのだなということはわかった。大変だったのだろう。お疲れさまでした。

さて、それらは鉛筆で書かれたものがほとんどなので、データ化しておこうと思った。

第一弾 行ってみます。

(以下過去の文章です)

 

久しぶりでした。

目が覚めると涙が出ていました。夢の中では泣くことはあったかな、と思いましたが、

目が覚めても涙が出ていたというのはいったいいつ以来なのか、そんなことが過去にあったか、というくらいの記憶です。

私は家の誰かに用をいい使って、外に出かけるところのようです。さて、外に出かけようと、靴を探しましたが、どの靴も中が泥だらけで、とても履けるものではありません。悔しい気持ちがわいてきます。(用を言われて出かけようとしているのに、靴が用意されていないのはどういうことだ)というわけです。

「靴がないよ!」「なんで靴がないんだ!」と私はじれます。私はもうじれてしまって、靴下のまま庭に降りて、いじれています。家の奥に母がいるようですが、私には気がつかない様子です。私の近くではやさしかった祖父が靴を探してくれています。私のいじれた心の矛先は祖父に向けられます。「早く靴を出してよ!」祖父は私に怒鳴られて、なんとも困った顔をしました。その顔を見つめていた大人の私に涙はあとからあとからやってきました。

夢から覚めてもその時の祖父の顔や、祖母の探し回る姿が浮かんできて、さらに涙が出ました。私の意識はもう大人のそれなのですが、半ば夢の中のようです。私をとてもかわいがってくれた祖父や祖母のことが思い出され、つらい、やるせない思いにさらに涙が出ました。

少しして落ち着いた時、ふと(何を一体じれていたのだろう)と思いました。答えはすぐにやってきました。私は(僕を見て!僕をかまって!)と叫んでいたんだ。

(僕を見て!僕をかまって!)それは言葉として響いてきました。同時に(たわいもないものだ)という思いがわいてきました。

それは強烈な、深いところからの叫びであると同時に、たわいもない、子どもならだれでも持っている欲求なのだなと感じました。

かつて子どもだった私が抱いていたその欲求を、私はずっと忘れていました。知識としてはわかっていたつもりでしたが、これほど強烈なものだったのか、危ういものだったのかと思いました。子どもはこんなに危うく、強烈でたわいもない欲求を直に抱えて生きているのだな。子どもってこんなに危ういのかと思いました。

 

 

この夢をいつ見たのか、はっきり覚えてはいません。本当はこの後も文章は続いていたのですが、この後は嘘くさかったです(笑)

きっと教師としてあるためにはどうしたらいいのか、ということを大上段から考えていた時期だったのでしょう。

 

今日は子どもの日。

今日くらいは、子どもたち、お散歩くらいはできたのかなぁ。