水俣 ~その1 いざ出発

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写真上段の左端の人物は私です。



1987年秋に、

勤務校が公開授業をするという。

どうせ反対して(※注)も、やる羽目になるのなら、面白くしようじゃないか。

考えた私は、題材に水俣病を選んだ。

 

石牟礼道子さんの「苦海浄土」を読んで衝撃を受け、

学生の頃からずっと水俣のことが気になっていた。

水俣に行って、この目で水俣を見てみたい。

 

同時に、怖さもあった。

まだ見ぬものに対する恐怖。

 

だが、いい機会だ。

「授業を充実させるために水俣まで行ってくる。」

錦の御旗を引っ提げて、行ってこようじゃないか!

早速校長室に行って、水俣病の授業をしたいので水俣まで行ってきたい旨を説明した。

「おーーーなんと授業熱心な先生なのでしょう、行ってらっしゃい、何日デモ!」

というお返事を期待していた私を見る校長の顔には、

あきれ果てた感情を必死で表に出さないよう苦労している学校管理者の風格があった。

「はは、先生が熱心なのはよくわかりますが、水俣は遠いですし、出張には、ちょっとできないですよね?」(いつものことだが、いったいこの男(私)は何を言っているのだ怒怒怒)

笑顔の奥の怒りを感じ取った私は、

「そうですよね、遠いですよね。しつれいしました。」と言って校長室を後にした。

 

ですので、夏休み期間中に有休をとって、水俣に行くことにしましたよ。

 

水俣は遠い、さてどうやって水俣まで行こうか。

私は青春18きっぷを使っての鈍行の旅を、選んだ。

しかし1日では水俣までたどり着けない。

どう組んでみても、広島あたりで終電が終わる。

行きつくところまで行ったらそこで始発までふらふらしていてもいいな。

そんな安易な考えで出発したが、さすがに鈍行18時間近くはつらかった。

尻が痛い。

「宿、宿はないか…」降りた地で、あてどもなくふらふらしていると、

一軒の民家風の宿を見つけることができた。

事情を話すと、宿のおばさんは笑って、

「大丈夫ですよ、泊まれます、朝食も用意できますよ。」と言ってくれた。

 

風呂に入って床に就いた私は、見知らぬ土地の、

人のやさしさに思いをはせながら、すぐに眠りに落ちた。

 

翌日水俣についたのは、午後3時くらいだったと記憶している。

やはり水俣は遠かった。尻が痛かった。

以下続く(予定)

 

※注ー公開授業は校内だけではなく、校外にまで幅広く参加者を募って行う授業研究会

 見せるための授業になる、子どものためにならない、校内環境の整備に多大な時間がかかる等で、教員に大きな負担がある割には子どものメリットは少ないという考えから、反対する立場に当時の私はいました。