学校。
今、また、話題になっている。
ちょっと前は、ブラックな勤務状況。
今は、なぜICT使って、授業しないんだ!
とか、
どちらかというと、
学校や、学校職員に対する批判が増えてきたと感じる。
遠隔朝の会や、遠隔授業をなぜしないのか?
私立の学校や塾はやっているんだぞ。
はい、
公立の学校ができない、一番の理由は、たぶん、
①「整わないから」
②「具体的な指示が出ないから」
①については
ICT環境がない家庭があるのだから…
が、一番大きな理由となっていると思われる。
また、無線に無縁
というICT環境に置かれている学校も多いという事実。
②については
何の指示も無いのだから、やりようがない…
ということだろう。
指示がないと動けない、動かない、
逆に動いたら、止められる。
・・・・・
はあ
あぁ
学校空間は思考停止空間なのだろうか?
もしそうだとしたら、なぜそうなのだろうか。
それは、
人はどういうときに、考えを絞り出すのか、
を考えてみるといいかもしれない。
私の答えはこうだ。
考えを絞り出さなければならない状況になった時に考えを絞り出す。
シンプルーーー!
公立の学校はそういう状況にないのだろう。
このコロナ禍にかかわらず、
そういう状況になったことはないのだろう。
オヤカタヒノマル空間(ワタシハソコノジュウニンデゴザイマス)
学校空間では、ほとんどのことが、限定的になる。
子どもへの愛情も、仕事への情熱も、より良くしようとする知恵も、
みんな限定的になる。
それはもちろん、
個々の先生方の愛情や、情熱や、知恵のことを言っているのではない。
どんなにたくさんの愛情や情熱を持っていたとしても、
限定された水準以上、出すこと能わず、なのだ。
がっちり、この上なく強固に構築されたシステムの中で、
獅子身中の虫になることはムリ、ムダ、ムヨウのスケ、
出すぎた杭は、精神を焼くことになる。
もえちゃっちゃぁあ、しょうがあんめい。
だから、
大事なことは
ダイソレタコトハオモワズ
ミンナトナカヨクシ
日々、元気でいること。
機嫌よくいること。
ニッチを探して、
楽しみを探して、
密やかに、
愛情や情熱を回転させることだ。
そのために、
定時に帰ろう、という提案を始め、
ブラックな仕事の在り方を変えようとしている若い先生方がいることは希望だ。