来し方 ~ケチでござんす。

飲んだくれなのに、ケチである。

飲んだくれは私だ。

私は、ケチである。

ケチとは何だ。

ケチとは、倹約家のこと。

ケチとは、守銭奴のこと。

ケチとは、がめついこと。

あぁ、

ケチにいいイメージはない。

ですが、あえて私は告白する

私は、とてもケチなのである。

 

子どもの頃のことである。

親戚に不動産屋をやっている人がいて、

お金持ちだったので、

親戚の子どもが集まると、デパートに連れて行ってくれて、

好きなおもちゃを買っていいよ、と言ってくれる。

そんな時でも、高いものは買えない私(子供である)であった。

なんでなんだろうね。

おばちゃんがお金持ちだっていうことは、子どもながらに知っていて、

だから、好きなものを買っていいよ、と言ってくれるのだということも理解していた。

けれど、好きなものは高いから、遠慮してしまうのだ。

どうしたんだ、子どもの頃の私。

お金持ちなんだぞ、高いものを買ってもいいのだぞ、

君が欲しいのは、本当は、高いものなんだろ。

あーーー

子どもの私は選ぶのは、ささやかなものなのであった。

「○○ちゃん、そんなものでいいのかい?」

「もっと高いものでもいいんだよ。」

おばちゃんは言ってくれるのだが、

「これでいいの。」

幼い私は、謙虚であった。

 

なんだよ。

謙虚だったという自慢話をしたいのか、この飲んだくれ!

 

いや、違います。

 

時は立ち、小学生のころ。

当時我が家は汲み取り式の、便所であった。

「汲み取りにもお金がかかるんだよねぇ。」

そう聞いた私は、学校で、大を済まそう大作戦を練った。

大を学校でするならば、家に大がたまらないではないか。

さすれば、汲み取り代もかからない。

よし、と意気込んだのはよかったが、

当時の学校で男子が、大便所に入るのは、死活問題だった。

「あいつ大便所に入ってたぞ。」

もう、それだけで生きていかれない。

そんな時代であった(どんな時代だい!)

しかも、便所から手が出てきて…という怪談話が、

まことしやかに語られ、信じられていた時代。

私は悩んだ末、大作戦実行をあきらめた。

 

ちょうじて、中学生の頃、

私は学校で貸本屋を始めた。

家になる、あばしり一家とか、ハレンチ学園とかを、

同級生に一冊、一日10円で貸し付けるお仕事。

結構借りるやつがいて、商売は順調だろう、きっとそうだ、と思っていた矢先、

番長(と皆から目されていた男)が、私に近づいてきて、こういった。

「俺にも貸してくれ、あばしり一家、全巻頼む」とか何とかいったのだと思う。

「へいしょうち!まいどありがとうございます、一冊一日10円になりますが。」

「わかってるよ。」

俺は、番長(と皆から目されていた男)が、意外と紳士的な男であったことに安堵し、次の日そいつにあばしり一家10巻くらいだったかな、貸し付けた。

ところが、である。

はい、お察しの通り、番長相手の商売は、高くついた。

結局、あばしり一家10巻近くも、貸し本代も、宙に消え、貸本屋も廃業と相成った。

 

この時の経験から、私は商売に向かないということを悟った。

ケチは商売に向かないのである。

ケチでないひとは、

番長(と皆から目されていた男)がまっとうに貸し本代を払うとは、

思わないのだろう。

しかし、ケチな私は、

こいつからも、もうけてやろう、と思ってしまったのである。

番長(と皆から目されていた男)からさえ、もうけようと、思ってしまったのである。

 

ケチは盲目なのだ。

番長(と皆から目されていた男)が、まっとうに、金を払うわけないだろう、

ということが見えなくなってしまうのである。

 

盲目なケチに、商売はできないと、

私は後日、悟った。