空手
強くなりたかった。
「空手バカ一代」を本気で信じた。
だから、極真会館の通信教育に申し込んだ。
長くは続かなかった。
当時は続かない自分を責めたが、
今思うに、いい加減な通信教育だったのだ。
いろんな意味で、マスオーヤマは、
わたしにとって、巨悪であった。
通信教育で挫折した私は、
意を決して、地域で空手を教えているところに飛び込んだ。
飛び込んだが、すぐに飛び出した。
なんで長続きしないのだろう。
自分を責めたが、
今ではよく覚えていない。
みたび、空手に出会ったのは、
内地留学で、千葉大で学んだ時のこと、
40歳で、大学生になった。
うきうき。
あのなぁ、おまえ、まったくわからんよ。
内地留学?
千葉大?
ちゃんと説明しろ。
あ、はい。
千葉県には、長期研修生制度がありまして、
私はそれに応募し、
千葉大で、テーマをもとに、研修をすることになったのです。
テーマは「コミュニティ・ダンスを通した交流教育」
障害のあるなしにかかわらず、ダンスを通して交流できたら、
という思いをテーマにしたものです。
コミュニティ・ダンスとは、
ふりつけや、決まりがないダンス、
音楽が流れてきたら、からだが動くままに動く。
どんな動きでも尊重する。
一人の内発的な動きを大事にし、その場のみんなで尊重する。
その連続で、ダイナミックな、場の流れが生まれる、
まぁ、そういった、ダンスです。
話が横道にそれました。
千葉大の学生になった私は、
あろうことか、空手の授業を受けたいと申し出たのです。
そんな馬鹿な申し出をする輩は、まずいないと思うのですが、
空手の授業を担当する先生は、快諾してくれました。
が、これもとん挫。
まったくもってなさけないかぎりでございます。
四たびが、実はあったのですが、
42歳の時でございます。
沖縄古流空手を習い始めました。
先生は、とてもいい人で、
世話役の方もいい方でした。
稽古の後は、
毎回のように飲みに行きました。
のんだくれですから、
望むところです。
おまえなぁ、
肝心の空手はどうだったんだ?
はい、
先生と世話役の方がいい方でしたので、
辞めないで、しばらくは続けたのですが、
いかんせん、型は覚えられない、
自分勝手に工夫してしまう、
高みから判断する、
はい、やりたい放題でございました。
いい空手でしたよ。
なにしろ、
あの、スラムダンクや、
バガボンドの作者の、
井上雄彦さんが、
同じ空手を習ったのですから。
(もちろん、一緒には稽古しておりません、そのあたりのことは、機会があれば)
でも、結果的には、辞めました。
いまでも、空手に対するあこがれは、あります。
五たびを、否定するものではありません。
わたしはなぜ、空手に憧れるのだろう。
単に強くなりたいというだけではないのです。
では、なんだ?
といわれましても、
これこれこうだ、とは、
答えづらいのです。
いずれまた、
「空手」について、
語れることを望んでいます。