私は私、それ、ほんとうですか。?

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私とはなんだろう?

 

 

おーい、飲んだくれ、

いきなり俺の出番になってしまうじゃないか!

一体どうしちまったんだい?

 

私は1人ではない、ポジさんだって、ヘリさんだって、実は私・・・

 

おいおい、飲んだくれ、

それをいっちゃあ、おしメェよ、じゃないのかい!

 

いや、ポジさん、それは皆さん、気づいてらっしゃることで・・・・

 

私、対する人によって、

自分の感じることや考えることが違う、態度が違う、そんなことじゃいけないのではないか?

そう思っていたのですが、、、、、

 

飲んだくれ、

それ、昔の話ですよね?

飲んだくれも知っていると思いますが、

平野啓一郎という作家さんが分人主義という考え方を表明しています。

 

今度はへりさんですか。

 

そうなんですよ、

私も、そういう考えを提唱している人がいるのを知って、

まさに私の考えだ!

と思いました。

 

分人主義というのは、

・・・・・・・・・・・

自分というものは、他人によって引き出される存在です。だから、「本当の自分」というものは存在せず、「子どもと接しているときの自分」も「かしこまっているときの自分」も、すべてが「自分」なんだという考え方が、「分人主義」です。

・・・・・・・・・・・

今は、自分というものは、他人が存在するから、存在する、

そう思っています。

別に謙虚を装っているわけではありません。

 

他人の言動に、振り回され、苦しい思いをしていた頃、

ふと、私は他人によって形作られているのかも、

と思ったのです。

 

なぁんだ、、、、

「自分はこうなんだ!」

そんな自分なんていうものは、

「ない」んじゃないか!

 

私はそのとき、そのときの状況によってたえず、

変わっていた!

 

そう思えたら、逆に、

息詰まって苦しい気持ちが、

結構楽になっていました。

 

考えてみれば、

自然界の全てのものは移ろっていく。

四季でかわり、

年月でかわり、

環境によって変わっていく。

人も当然そうなのだろうな。

 

確固たる「自分」が、

どんな時も、

どんな人に対しても、

信念をもって向かい合う、

それが大事。

 

確固たる自分がないから、苦しむ。

確固たる自分を見つけることができたら、

楽になる、きっと。

 

そう、思っていました。

 

 

脳の大きな役割の一つが、

自己同一性を保つ、

です。

だから、あらゆる手を使って、

思い込ませた自己を崩させないようにする。

それが脳の役割らしいです。

 

その頃の私は、

脳様の言うとおり、

自己同一性の強化をしておりました。

 

しかし、それがあまりに、楽ではないものですから、

自分なんて苦しいだけだから、もういらない、

ふと、そんなことを思いました。

 

他人によっていろんな自分が出てくるのは、

面白いじゃあないか、

流れにまかせて、

出会いを楽しめばいいじゃないか。

 

そのような気持ちになりました。

 

そして後日、

平野啓一郎という人が、分人主義ということを提唱していることを知ったのです。

 

考えてみれば、昔は、

人生の節目節目で、

名前を変えていた。

それはもしかしたら、

名を変えることによって、

変身しようとしたのではないでしょうか。

 

人が、他者(この場合、人に限定されません)によって変身できる。

これは、私にとってはとても魅力的なことに思えました。

それが、演劇に興味を持ったきっかけの一つであり、

舞踏に惹かれる理由なんだろうと思います。

 

しかし、脳は頑固。

 

本当の自分はない?

そんな恐ろしいことが許されるはずがない!

自分が何者でもないなんてことが、

耐えられるはずないじゃないか。

私は、私だから、

かけがえがないのだ。

かけがえのない自分を探し、

成長させていくのが、

私の使命。

確固たる自分を持たなくて、どうやって世間の荒波を渡っていくことが出来る?

 

いや、脳さん、

実は変身できるからこそ、

荒波を渡っていくことができるのですよ。

 

私の脳は以前頑固ですが、

変身願望の方が最近はやや優ってきておりますので、

これからが楽しみでございます。