山下泰裕の背中

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三船十段です。


まったく

興味がないのだが、

五輪の会長云々の話、

なんでこんなに騒いでいるんだろう。

見たくもないが、

家人がニュース好きなので、

ふと見てしまったのだ、

山下泰裕のせ・な・か

悲しい思いが、きたよ。

 

山下と言えば、

柔道のヒーロー。

エジプトのモハメド・ラシュワンとの試合は、

強く記憶に残っている。

強かった、かっこよかった。

道家泰然とした雰囲気で、すてきだった。

 

あれから、37年たった、

わたしは、飲んだくれのまま、歳をとった。

年月が過ぎたのは、山下泰裕にとっても同じで、

けれど、ひさしぶりにみた彼の背中には、武道家という雰囲気は、

なかった。

 

なんだ、これは、

なんなんだこれは、と思った。

衝撃だったのだ。

 

山下は、稀有な柔道家だったと思う。

しかし、柔道は山下に、

偉大な柔道選手としての経歴は残すことは許したが、

偉大な柔道家としての山下を残すことはしなかった。

 

山下は、広い意味で、

政治家になったのだと思う。

 

 

かつて、

嘉納治五郎が、

柔術を誰もが体験できるものにしたいと考えたときに、

柔術は政治の論理の中に投げ込まれ、柔道として、政治の論理の中で成長した。

山下は、それを一番確かに体現した人物なのだ。

選手としても、人柄も、その他も、

言うことなしだ。

しかし、

久しぶりに見た、

彼の背中に、武道家の背中は、

なかった。

 

山下は、

やりたいことをやっているのだろうか。

柔道という政治の中で、

彼は頂点を極め、

輝いた。

私は彼が好きだった。

誠実に一つのことを追い求め、

ひたすら努力し、その天才を発揮する。

その姿を見ることが、好きだった。

だが、たぶん、

政治と、柔道という政治はイコールではなかったのだろう。

そこに、彼の背中の寂しさ(私の主観)があった、

と私は思う。

 

若き嘉納治五郎が感嘆した、

日本武術の妙なる技、

それをより多くの人々に、

伝えたいとした嘉納の天才。

その結果の一つが、

山下の偉業であり、山下の背中の寂しさである。

 

わたしは、会長は誰だ、の

マスコミの騒ぎに全く関心がなかったが、

山下が、会長にならなくてよかったと思っている。