散歩しすぎで痛んだ足を労りながら、考えた。

散歩をした。

 

畑が広がる田舎道や

田植え前後の畦道等々

 

気になることがあった。

 

地上にも水の中にも

生き物の気配がほとんどしないのだ。

 

空からは鳥の鳴き声が聞こえてきて

見上げるとその姿を見ることもあるのだが

問題は地や水に生き物の気配がまるでしないと言うこと

 

もう一つ気になったことは

農薬の噴霧器で散布しているのを何回か見かけたこと

 

かつて

農薬は「農毒薬」なんだ

と言う話を聞いて なるほど

と思ったことがある。

だから今はこれだけ「安心・安全」が言われているのだから

「農薬」というものは年々使われなくなり、「無農薬」や「減農薬」が

主流になってきているのだろう、と思い込んでいた、

だから当たり前のように散布している光景に驚いたのだ

 

でもどうやら「農薬を使わない、減らす」ということはとても大変なことらしい

奇跡のリンゴの木村さんの著書を読んだときに

「農薬を使わないりんご栽培」に至るまでの壮絶な道のりに唖然としたのだが、

林檎だけではなく、現在の農業で農薬を使わないということはとても大変なことらしい。 

 

農薬は害虫や病気から農作物を守り生産性を維持する大切なもの

どうやって守るかというと

害虫や病原菌に成仏していただくということ

害をなすものがいなくなり農作物は守られ、生産性は維持される。

生産性が維持されなければ、就農人口の維持にも関わってくるのだろう。

一筋縄でいかないのが、「農薬」の問題のようだ。

 

しかし「経済」と別な視点で問題点を考えてみれば、

成仏してしまうのは「害虫や病原菌」だけではないというところにあるのではないのか

「農薬」は万遍なく生き物に影響を及ぼす

 

生き物の気配が感じられなくなったことと「農薬」とは

関係があるのではないか

 

ヤマザキマリの漫画に

オリンピア・キュクロス と言う作品がある。

古代ギリシャに住むデメトリオスという主人公が

1964年と2020年の日本にタイムスリップしてきて・・・

という話なのだが

2020年の東京で彼は驚く

 

何だろう・・・・・・

56年前のトーキョーポリスとは別世界だ・・・・

こんなにたくさんの人がいるのに人が人じゃないみたいにみえる・・・

溢れるような“もの"が人間という生き物を

呑み込んでいる・・・

 

古代ギリシャからタイムスリップしてきた彼は

2020年の東京に

生き物の気配がしないことに驚いているのだ、私は思った。

 

水俣病

その歴史の初期、無辜なる人々に激烈な死をもたらした水俣病

 

やがて「公害」は薄く広く満遍なく広がり、人間社会を漂白し、

人間の中の生き物性に緩慢な死をもたらしていった。

今人間は

内外ともに

生き物を失ってきているのではないだろうか

外側の自然にも

内側の内臓にも

そして感性にも

 

人間の内部の自然も

外部の自然も

多様性を許容できない環境になっているのではないだろうか

 

散歩しすぎで痛んだ足を労りながら、

そんなことを考えた連休最終日でした。