ユリシーズ企画 集会 「あくがれ」にご来場いただき、ありがとうございました。

ユリシーズ企画 集会 「あくがれ」にご来場いただき、ありがとうございました。

 

踊ることができたのは、何より来ていただいた皆様がいらっしゃったからです。

そして企画段階からずっと支えてくれたコアメンバーの皆様。

核心に近づくと、スルッと向きを変えて逃げ出してしまう、

それをどうにかしたいけれど、うろうろ周辺を回るだけの私を

見守り、根気強くご指導くださったお二人の先生。

励ましてくれた稽古場の皆様。

 

数多の良き思いをいただけ、踊ることができました。

 

踊りについては、稽古場でしてきたことを構成して発表しました。

背面の踊り。

仰ぐ。

縮まる。

物を使ったスローの稽古(今回は扇を使いました)等です。

 

稽古場で起こっている稀有な出来事を、

少しでも来ていただいた皆様と共有できたら、という思いがありました。

それはとても難しいことと認識していましたが、

それが今回、皆様のおかげで、

十分には程遠いと思いますが、

共有することができたのでは!

という実感を持つことができました。

 

私はずっと、人間が人間であることの誇り、尊厳、

人間の生の栄光、というようなことを思ってきました。

もっと単純にいうと、楽しく、愉快で、静かに満ちている、周りのモノコトみんなと一緒に。

本来そういう社会、世界が、人間のいる場なのであり、

人生なのだろう、と願ってきました。

難しい願いではありましたが、

踊ることによって、集会の場がそのようになってほしいと。

最上師の稽古ではそれが当たり前のように生まれているのですから。

 

最後にお伝えさせてください。

来てくださった皆様の、見えない力の集まりを物凄く感じました。それにとてもとても励まされました。だから人間のそういう思いを、何より命を、大切にしたい。残酷なことが続く世界を溶かしていきたい。

私はもう老体ですが、がんばりたいです!

 

 

 

 

ユリシーズの企画「集会」でなぜ踊るのか


小学校の教員をしていたことがあった。

その時のエピソードの一つ。

受け持ちの子の一人が、喘息で入院することになり、お見舞いに行った。

まだあまり良くなっていない様子で、それでも体を起こして話をしてくれた。

何の話をしたのかは覚えていないが、早めに話を切り上げた。

 

病室から出る時にふと振り返って見た

その子の

ポツンと感。

 

そのポツンと間が、

自分の子供の頃の遠い記憶を呼び覚ました。

 

自分が小児喘息だった時の記憶。

ポツンと感が強かった。

喘息の発作が起きて、それが少し治った時に、

ポツンと感を感じていたことを思い出していた。

 

そんなことがあってから、20数年が過ぎた頃の話である。

件の子が成人し、結婚することになり、そのパーティに呼ばれることになった。

その子は私が小学校に作った演劇クラブに入り、その後も演劇に興味を持ち続け、

その時も劇団に入って活躍していた。

劇団の仲間がパフォーマンスで彼女たちを祝福する。

会場はとてもあったかいものに包まれていた。

その雰囲気に私は涙していた。

その時、私はかつての彼女のポツンと感を思い出していた。

ああ、よかったなぁ、という思い。

その子は、クラスの中でポツンとしていたわけではなく、友達も多く、活動的だった。

でも、病院で感じた彼女のポツンと感がずっと忘れられなかったのだろう。

演劇を通して、こんなに温かい仲間と一緒に活動して、そして今祝福の渦の中にいる。

私の中であの時のポツンと感が、別のものに変わった。

そういう涙だった。

 

今回私は

ユリシーズ(1)という芸術団体が企画する「集会」という場でソロパフォーマンスをする。

 

約11年前、不思議とも言える出会いで、舞踏家の最上和子さんに出会った。

不祥の生徒ながらも辞める事なく、舞踏の稽古に参加してきた。

稽古が楽しかったこと。

最上先生のお人柄。

稽古生との交流。

そういうことが稽古を続けてこられた理由だが、

それ以上の何かがあった。

今回ソロの発表をするにあたって、

その何かがなんなのかを

言葉にしようと思った。

と思ったときに、浮かんできたのが、長々と書いてきた、

ポツンと感

だった。

 

ずっと

ひとりぽっち

と感じてきた。

 

現実には交流する友人もいる。

家人とも出会えた。

娘も生まれた。

仕事上の仲間にも恵まれてきた。

でも

ひとりぽっち

そう感じる瞬間がたびたび訪れた。

 

ひとりぽっち

その思いが特に感じられたのは

2011年だった。

1月に父が亡くなり、

3月に東日本大震災が起こった。

 

ポッカリとどこか抜けて

ひとりぽっち感が強くなった。

 

翌年

歌手の木村弓さんからの電話がきっかけで、

小池博史さん講師の演劇ワークショップ(2)に参加し、

講習生の発表として舞台に立った。

 

ひとりぽっち感が薄らいでいた。

 

それまでも演劇や踊りには興味があり、

演戯集団の塾生になったり、

学校でクラブ指導をしたり、

コミュニティダンスを研究したり、

障害のある方と一緒に、舞台に立ったりしたこともあった。

 

表現することにあこがれがあったのだと思う。

ポツンと感(ひとりぽっち感)と表現したいという憧れとには

何らかの結びつきがあったのだろう。

 

そのことにぼんやりとだが気づいたきっかけがこの発表だった。

 

そんな時に、

本当に不思議とも言えるご縁で出会ったのが

現在原初舞踏で師事する最上和子師だった。

 

最初はわからなかった。

稽古が楽しいから。

以前から稽古してきている武術の練磨に役立つから。

そんな理由で続けている稽古の場に、

ユリシーズ代表の飯田さんが来た。

そこから

ユリシーズの歴史が始まるのだが、、、、。

 

ユリシーズの目的の一つが、「芸術としての新たな社会性の創出」だ。

それは都市における「新たな共同体の創出」とも言えるだろう。

 

ポツンと感を抱える現代に生きる人たち。

ひとりぽっちを奈落と直感し、悪と認識して、

そこから逃れようとする多くの人たち。

 

とても強く生きづらさを感じている

その人たちが

どこにいても漂白された都市において

今現在の時代に

新たな共同体を創出する先駆者になり得る。

(ひとりぽっちは地獄の奈落ではないのですよ!)

 

そう思うからこそ

ソロパフォーマンスをする。

そう今強く思う。

 

ここに

ユリシーズ企画の集会で踊る意味がある。

 

「集会」というネーミングの広がりもこの方向にあると思っている。

 

トークイベントではこんなことも話題にできたらいいな、と思っています。

 

乞うご期待です。

 

ユリシーズ(1)

ulysess.jp

 

小池博史さん講師の演劇のワークショップ(2)

www.city.nagareyama.chiba.jp

 

 

 

 

 

先生には元気でいてほしい

先生が、子どもにどう映っているかということ。

これ、とても大事。

教育の、要(かなめ)は体験。

子どもは日々、身体全体で、体験している。

(特に小さい子供たちほど)

なにを一番体験しているかというと、

先生の生きるエネルギー。

実は、子ども達は直感しているのだと思う。

なにを?

先生が何を大事にしているのかを。

先生を見て、先生のエネルギーを感じて、

何を大事にして仕事をしているのかを。

だから、

大事なことは、

何を教えるかというより、

どう教えるかというより、

 

先生が、どういう状態で仕事をしているかということだ。

 

先生が仕事に意欲を持っていれば、その意欲は子どもに伝わるだろう。

先生が仕事に喜びを見出しているならば、その喜びは子どもに伝わっていくだろう。

仕事にやりがいを感じているのであれば、そのエネルギーは伝わっているだろう。

 

最後に、

いい状態で仕事をするために大事なことの一つ、コミュニケーション能力について。

池上彰監修「なぜ僕らは働くのか」によると、

(略)・・コミュニケーション能力の高い人とは、どんな人のことをいうのでしょうか?友だちが多い人?人を笑わすのが上手な人?空気を読むのがうまい人?どれも合っているような気がしますが、どれも少し違うような気もします。「コミュニケーション」を辞書で引くと、「社会生活を営む人間のあいだに行われる知覚・感情・思考の伝達」とあります。つまり、「自分の意思を相手に伝え、相手のいうことを理解する」ことです。こう書いてしまうと、ごく当たり前の行為ですね。自分が思ったことをしっかりと伝え、相手が言うことをちゃんと聞く。それができればコミュニケーション能力があるということです。(同書p188)

また、同書では、コミュニケーション能力の活かし方として、次の2点を挙げている。

1 相手のことを思いやる

・言い方、伝え方を工夫する

・うなずいたり、あいづちを入れたりする

2 自分の意思を伝える

・賛否を表現する

・場の空気を読みすぎない(同書p190~191)

 

1については、先生方の多くが得意なことであると思うが、

2が苦手な先生が多いのでは、と思う。(先生方に限らず、日本人が、と思います)

なので、2についてもう少し詳しく。

同じく池上先生の御本から

 

・賛否を表現する

 自分が良いと思うこと、イヤだと思うこと、これらはきちんと表現することが大切です。

・場の空気を読みすぎない

 会話や議論がおかしな方向に向かったときは、意見を発信して流れを変えることも重要です。同調するだけではいけません。(同上)

 

おーい、飲んだくれ!(注 筆者のこと)

「自分ができてこなかったのに、よく言うよ、まさしく暴論!!!」

 

まあまあ、へりさん(注 屁理屈多い筆者の友人)

わたしは、大変な現場で働く、若き先生方が、少しでも、元気に活躍してほしいと心から願っているのですよ。

では、これにて失礼いたします。

『黄色い家』を読んで 利他と絆と魂の物語だった

「黄色い家」を読んだ。

帯には

2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。
60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。
長らく忘却していた20年前の記憶――黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。
まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな〝シノギ〞に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい……。

と、ある。

 

この紹介に出てくる、花と黄美子が主人公だ。

その他の主な登場人物は、

花のお母さん(黄美子の友人)

蘭(花と同年代の少女)

桃子(同上)

映水(ヨンス)(黄美子の古い友人)

琴美(同上)

ヴィヴィアン

などだ。

 

昨日読み終わって衝撃があったので、何がそれだったのかを言葉にしてみたい。

 

まず、

強烈な、魂の物語だった。

 

いのちがうまれ、育つことが、

なんと困難なことなのか。

自分の魂が求めるもの、それから目を逸らさないことが、

なんと困難で面倒臭く、理解されないことなのか。

 

だから普通は、

目を逸らす。

多くの人間は、

目を逸らす。

 

金(カネ)というモノを使って、

物を、情報を、人間関係を消費することで、

目を逸らすことができる。

 

そのこと自体は悪いことでもいいことでもなく、

実際社会はそういうことで成り立っているのだろう。

目を逸らすことができるが故に、

金は大事なのだ。

 

でも、

生き延びることが最優先という環境にあったとしたら、

しかもそれが、

生き残る術をあまり知らない小さい命であったのならば、

目を逸らすことはできない。

この物語は、

目を逸らすことのできなかった、

孤高な少女の戦いの物語である。

 

そして、

この物語は、

絆の物語だった。

花の生い立ちは哀しい。

黄美子の生い立ちも哀しい。

 

二人は、共に暮らし始める。

表の世界で語られる「絆」とは違った絆が生まれ始める。

 

黄美子と映水、琴美の絆に、

花は強く惹かれ始める。

 

そして、

この物語は、

利他の物語だった。

 

花は、目を逸らすことができない。

 

「お母さん」の哀しみから、

目を逸らすことができない。

 

赤の他人の哀しみからも、

目を逸らすことができない。

自分の哀しみから目を逸らすことさえできないのに、

もうどうしようもなくいっぱいいっぱいなのに、

 

人の哀しみから目を逸らすことができない。

 

黄美子のために

蘭のために

桃子のために

 

そうして花は、

手を染めてしまう。

 

弱く、臆病な花だけれど、

それでも

生き続けること、

より良く生き続けることを

 

願い続ける。

 

 

人間が生き続けようとする、

それはどういうことなのか。

 

私はこの物語を美しいと思った。

 

最後に

 

花は命そのものとしてかかれており、だから名前が花なのだ。

 

最後は

 

個の命が祝福を受けるという場面で終わっている

 

 

 

 

 

 

なんだ、結構死と隣り合わせだったんだな、と大晦日に思い至ったことと、明日の迎春につなげるために。

死ぬ時は切腹

そう決めた高校時代、

感情失調症?だった。

 

なんだか、何にも、感じることができない。

多分、昔は違っていたよな、ぼんやりとそう感じながら、

なんかどこかで、命を続けることのできない危機に出会っていたのだと思う。

故に、

死ぬ時は切腹と思い定めたことは、

今思うと、それでも生きろ、という何かが、よこしてくれたものだったと。

 

自死する時は切腹

そう決めたことで、生き延びることができた。

 

死んでもいいけれど、生きたかったのだと思う。

 

でも、死んでもいいかもという思いはいつもあって、

アルコールで酩酊することで、そんな思いを小出しにすることで、

生き延びることができたのだと思う。

 

結局、生きていたいのだな。

 

死ということはどんなことなのかわからないけれど、

自分という存在が消えるのを待っている、

同時に、この上なく強烈に生きたい、

そのあわいは、

今も傍に座っているのだろうと思う。

 

だから、

どうしようもない後悔の思いと、

それでも生き延びて来なくてはいけなかった、という言い訳たちを、

迎い入れたい、その足場に立ちたい。

明日に迎春を迎えるにあたって。

 

私は塗り壁師だった。

私は塗り壁師だった。

文章がなかなか書けないのはなぜだろうと思ってきた。

舞踏の稽古仲間の文章に触れることで、その答えが見つかった。

だからその大事なことを忘れないために、ここに記したいと思う。

 

私にとって、

思いとか、文章とかは、恥を上塗りするためのものだった。

そもそも、

思いが、

思いがこうあれば生き延びることができる、

というところから作られたものであったので、

欲しがりません、勝つまでは 的な文章しか書けなかったのだと思う。

それをやっと、少しだけ、離れてみることができるようになった、ように思う。

だから、見えたことは、

私は塗り壁師だったということ。

それを出したら壊れてしまいます。

そういう思いが出ないように、塗る、塗る、塗る。

鼓舞する言葉で塗る。

前向きな言葉で、

だめだだめだだめだと己を否定する言葉で塗る。

 

前向きな言葉も、否定の言葉も、出どころも、役割も同じだった。

壊れてしまわないように、壊してしまわないように、

嘘の言葉を無理やり引き摺り出そうとしていた。

そして苦渋の材料で、恥の上塗りの作業を繰り返していた。

 

でもそろそろ、塗り壁師はやめたい。

やめられなかったのは、

人や自分をさんざん傷つけてきたことの哀しみに向き合いたくなかったから。

でもそろそろ、塗り壁師はやめたい。

 

向き合おうとした後のことはわからない。

でも向き合うことは、我が倫理だと感じる。

だから、向き合おうと思います。

 

 

ユリシーズオンラインイベント 「なぜ、いま映画なのか」 『道 パッサカリア』をめぐって を見て

映画はほとんど見ない、

映画と映像作品の違いもよくわからない、

凡愚の私であるが、

原初舞踏を稽古してくださっている最上師と、

祝祭性0のボングジョークに付き合ってくれる飯田監督が関わっている作品であるから、

このオンラインイベントは見ました。

www.youtube.com

そして

問われた。

 

人間が本当の人間であるということは、何をもってして、そう言うことができるのだろうか。

 

それがこのイベントで語られた「言葉」が私に突きつけた問いであった。

 

その言葉たちはまた、

未だかつて経験したことのない境地に導いてくれる、

未知の言葉たちであったので、

このトークイベントの感想を文章にすることは私には、できない。

かろうじてできることは、

断片的なものとして記すること。

以下、思いつくままに書いてみる。

 

最上師が創始した原初舞踏。

飯田さんが身体とメカを使って生成させようとするもの。

人類の霊性の、ひとつの到達点への2つのベクトルが出会い、

導かれたように出会ったもうひとつのベクトル。

それが、伴田良輔さんだった。

 

伴田良輔さんが映画制作の上での苦しみについて語っていたことは、

最上師がSNS上でよく呟いている原初舞踏におけるパッション(受苦)と同質なのだろうか?

 

0、01秒単位の編集と語っていたことは、同じく最上師が語っている、

0と1との間を無限に切り裂いていく、ということと同じなのだろうか。

 

最上師の原初舞踏は舞踏と名乗ってはいるが、いわゆる舞踏ではない。

飯田さんがカメラで写し、編集するものは、映像作品と名乗ってはいるが、いわゆる映像作品ではないだろう。

伴田さんはこの映画を作るにあたって、既存の方法を一切排除してきた旨のことを語っていた。

伴田さんのこの「映画」も、いわゆる映画ではないのだろう(私は21日に見に行きます)

 

稀有な創造性が既成の言葉たちを遥かに超えていく、その現場近くに身を置ける幸せを感じる。

 

そして、このトークイベントで語られた言葉たちでさえ、創造の言葉であるにしても、生成の現場の、おぼつかない映し絵でしかないのだろう。

私個人としては、映画を見にいく前にこのトークを聴くことができたことを、ありがたいと思っている。

映し絵でさえ、これほどのものだったのだからと、生の体験をとても楽しみにしている。

 

写し絵などと、とんでもないことを言ってしまったが、ご三人の言葉たちは、語ることのできない霊性に限りなく近づいている言葉たちなのだろう。

だからこそ、私も問いを持つことができた。

 

人間が本当の人間であるということは、何をもってして、そう言うことができるのだろうか。

 

もっとシンプルにこう問うこともできる。

 

本当の人間とはいかなるものか。

 

最後に、

司会の出津さんが「聞き惚れてしまいました」と言っていた、最上師の言葉は圧巻だった。

長年原初舞踏を稽古してきているにもかかわらず、最上師のSNS上の言葉を読んでも今ひとつ理解できないボンクラの私なのだが、語られる言葉は身に積もっていく。

今回は特にそうだった。

最上師の語る言葉を筆記することで、原初舞踏論といった、まとまった形での書籍等ができないか、などとも思った次第です。