死ぬ時は切腹、
そう決めた高校時代、
感情失調症?だった。
なんだか、何にも、感じることができない。
多分、昔は違っていたよな、ぼんやりとそう感じながら、
なんかどこかで、命を続けることのできない危機に出会っていたのだと思う。
故に、
死ぬ時は切腹と思い定めたことは、
今思うと、それでも生きろ、という何かが、よこしてくれたものだったと。
そう決めたことで、生き延びることができた。
死んでもいいけれど、生きたかったのだと思う。
でも、死んでもいいかもという思いはいつもあって、
アルコールで酩酊することで、そんな思いを小出しにすることで、
生き延びることができたのだと思う。
結局、生きていたいのだな。
死ということはどんなことなのかわからないけれど、
自分という存在が消えるのを待っている、
同時に、この上なく強烈に生きたい、
そのあわいは、
今も傍に座っているのだろうと思う。
だから、
どうしようもない後悔の思いと、
それでも生き延びて来なくてはいけなかった、という言い訳たちを、
迎い入れたい、その足場に立ちたい。
明日に迎春を迎えるにあたって。