ユリシーズの企画「集会」でなぜ踊るのか


小学校の教員をしていたことがあった。

その時のエピソードの一つ。

受け持ちの子の一人が、喘息で入院することになり、お見舞いに行った。

まだあまり良くなっていない様子で、それでも体を起こして話をしてくれた。

何の話をしたのかは覚えていないが、早めに話を切り上げた。

 

病室から出る時にふと振り返って見た

その子の

ポツンと感。

 

そのポツンと間が、

自分の子供の頃の遠い記憶を呼び覚ました。

 

自分が小児喘息だった時の記憶。

ポツンと感が強かった。

喘息の発作が起きて、それが少し治った時に、

ポツンと感を感じていたことを思い出していた。

 

そんなことがあってから、20数年が過ぎた頃の話である。

件の子が成人し、結婚することになり、そのパーティに呼ばれることになった。

その子は私が小学校に作った演劇クラブに入り、その後も演劇に興味を持ち続け、

その時も劇団に入って活躍していた。

劇団の仲間がパフォーマンスで彼女たちを祝福する。

会場はとてもあったかいものに包まれていた。

その雰囲気に私は涙していた。

その時、私はかつての彼女のポツンと感を思い出していた。

ああ、よかったなぁ、という思い。

その子は、クラスの中でポツンとしていたわけではなく、友達も多く、活動的だった。

でも、病院で感じた彼女のポツンと感がずっと忘れられなかったのだろう。

演劇を通して、こんなに温かい仲間と一緒に活動して、そして今祝福の渦の中にいる。

私の中であの時のポツンと感が、別のものに変わった。

そういう涙だった。

 

今回私は

ユリシーズ(1)という芸術団体が企画する「集会」という場でソロパフォーマンスをする。

 

約11年前、不思議とも言える出会いで、舞踏家の最上和子さんに出会った。

不祥の生徒ながらも辞める事なく、舞踏の稽古に参加してきた。

稽古が楽しかったこと。

最上先生のお人柄。

稽古生との交流。

そういうことが稽古を続けてこられた理由だが、

それ以上の何かがあった。

今回ソロの発表をするにあたって、

その何かがなんなのかを

言葉にしようと思った。

と思ったときに、浮かんできたのが、長々と書いてきた、

ポツンと感

だった。

 

ずっと

ひとりぽっち

と感じてきた。

 

現実には交流する友人もいる。

家人とも出会えた。

娘も生まれた。

仕事上の仲間にも恵まれてきた。

でも

ひとりぽっち

そう感じる瞬間がたびたび訪れた。

 

ひとりぽっち

その思いが特に感じられたのは

2011年だった。

1月に父が亡くなり、

3月に東日本大震災が起こった。

 

ポッカリとどこか抜けて

ひとりぽっち感が強くなった。

 

翌年

歌手の木村弓さんからの電話がきっかけで、

小池博史さん講師の演劇ワークショップ(2)に参加し、

講習生の発表として舞台に立った。

 

ひとりぽっち感が薄らいでいた。

 

それまでも演劇や踊りには興味があり、

演戯集団の塾生になったり、

学校でクラブ指導をしたり、

コミュニティダンスを研究したり、

障害のある方と一緒に、舞台に立ったりしたこともあった。

 

表現することにあこがれがあったのだと思う。

ポツンと感(ひとりぽっち感)と表現したいという憧れとには

何らかの結びつきがあったのだろう。

 

そのことにぼんやりとだが気づいたきっかけがこの発表だった。

 

そんな時に、

本当に不思議とも言えるご縁で出会ったのが

現在原初舞踏で師事する最上和子師だった。

 

最初はわからなかった。

稽古が楽しいから。

以前から稽古してきている武術の練磨に役立つから。

そんな理由で続けている稽古の場に、

ユリシーズ代表の飯田さんが来た。

そこから

ユリシーズの歴史が始まるのだが、、、、。

 

ユリシーズの目的の一つが、「芸術としての新たな社会性の創出」だ。

それは都市における「新たな共同体の創出」とも言えるだろう。

 

ポツンと感を抱える現代に生きる人たち。

ひとりぽっちを奈落と直感し、悪と認識して、

そこから逃れようとする多くの人たち。

 

とても強く生きづらさを感じている

その人たちが

どこにいても漂白された都市において

今現在の時代に

新たな共同体を創出する先駆者になり得る。

(ひとりぽっちは地獄の奈落ではないのですよ!)

 

そう思うからこそ

ソロパフォーマンスをする。

そう今強く思う。

 

ここに

ユリシーズ企画の集会で踊る意味がある。

 

「集会」というネーミングの広がりもこの方向にあると思っている。

 

トークイベントではこんなことも話題にできたらいいな、と思っています。

 

乞うご期待です。

 

ユリシーズ(1)

ulysess.jp

 

小池博史さん講師の演劇のワークショップ(2)

www.city.nagareyama.chiba.jp

 

 

 

 

 

先生には元気でいてほしい

先生が、子どもにどう映っているかということ。

これ、とても大事。

教育の、要(かなめ)は体験。

子どもは日々、身体全体で、体験している。

(特に小さい子供たちほど)

なにを一番体験しているかというと、

先生の生きるエネルギー。

実は、子ども達は直感しているのだと思う。

なにを?

先生が何を大事にしているのかを。

先生を見て、先生のエネルギーを感じて、

何を大事にして仕事をしているのかを。

だから、

大事なことは、

何を教えるかというより、

どう教えるかというより、

 

先生が、どういう状態で仕事をしているかということだ。

 

先生が仕事に意欲を持っていれば、その意欲は子どもに伝わるだろう。

先生が仕事に喜びを見出しているならば、その喜びは子どもに伝わっていくだろう。

仕事にやりがいを感じているのであれば、そのエネルギーは伝わっているだろう。

 

最後に、

いい状態で仕事をするために大事なことの一つ、コミュニケーション能力について。

池上彰監修「なぜ僕らは働くのか」によると、

(略)・・コミュニケーション能力の高い人とは、どんな人のことをいうのでしょうか?友だちが多い人?人を笑わすのが上手な人?空気を読むのがうまい人?どれも合っているような気がしますが、どれも少し違うような気もします。「コミュニケーション」を辞書で引くと、「社会生活を営む人間のあいだに行われる知覚・感情・思考の伝達」とあります。つまり、「自分の意思を相手に伝え、相手のいうことを理解する」ことです。こう書いてしまうと、ごく当たり前の行為ですね。自分が思ったことをしっかりと伝え、相手が言うことをちゃんと聞く。それができればコミュニケーション能力があるということです。(同書p188)

また、同書では、コミュニケーション能力の活かし方として、次の2点を挙げている。

1 相手のことを思いやる

・言い方、伝え方を工夫する

・うなずいたり、あいづちを入れたりする

2 自分の意思を伝える

・賛否を表現する

・場の空気を読みすぎない(同書p190~191)

 

1については、先生方の多くが得意なことであると思うが、

2が苦手な先生が多いのでは、と思う。(先生方に限らず、日本人が、と思います)

なので、2についてもう少し詳しく。

同じく池上先生の御本から

 

・賛否を表現する

 自分が良いと思うこと、イヤだと思うこと、これらはきちんと表現することが大切です。

・場の空気を読みすぎない

 会話や議論がおかしな方向に向かったときは、意見を発信して流れを変えることも重要です。同調するだけではいけません。(同上)

 

おーい、飲んだくれ!(注 筆者のこと)

「自分ができてこなかったのに、よく言うよ、まさしく暴論!!!」

 

まあまあ、へりさん(注 屁理屈多い筆者の友人)

わたしは、大変な現場で働く、若き先生方が、少しでも、元気に活躍してほしいと心から願っているのですよ。

では、これにて失礼いたします。

『黄色い家』を読んで 利他と絆と魂の物語だった

「黄色い家」を読んだ。

帯には

2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。
60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。
長らく忘却していた20年前の記憶――黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。
まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな〝シノギ〞に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい……。

と、ある。

 

この紹介に出てくる、花と黄美子が主人公だ。

その他の主な登場人物は、

花のお母さん(黄美子の友人)

蘭(花と同年代の少女)

桃子(同上)

映水(ヨンス)(黄美子の古い友人)

琴美(同上)

ヴィヴィアン

などだ。

 

昨日読み終わって衝撃があったので、何がそれだったのかを言葉にしてみたい。

 

まず、

強烈な、魂の物語だった。

 

いのちがうまれ、育つことが、

なんと困難なことなのか。

自分の魂が求めるもの、それから目を逸らさないことが、

なんと困難で面倒臭く、理解されないことなのか。

 

だから普通は、

目を逸らす。

多くの人間は、

目を逸らす。

 

金(カネ)というモノを使って、

物を、情報を、人間関係を消費することで、

目を逸らすことができる。

 

そのこと自体は悪いことでもいいことでもなく、

実際社会はそういうことで成り立っているのだろう。

目を逸らすことができるが故に、

金は大事なのだ。

 

でも、

生き延びることが最優先という環境にあったとしたら、

しかもそれが、

生き残る術をあまり知らない小さい命であったのならば、

目を逸らすことはできない。

この物語は、

目を逸らすことのできなかった、

孤高な少女の戦いの物語である。

 

そして、

この物語は、

絆の物語だった。

花の生い立ちは哀しい。

黄美子の生い立ちも哀しい。

 

二人は、共に暮らし始める。

表の世界で語られる「絆」とは違った絆が生まれ始める。

 

黄美子と映水、琴美の絆に、

花は強く惹かれ始める。

 

そして、

この物語は、

利他の物語だった。

 

花は、目を逸らすことができない。

 

「お母さん」の哀しみから、

目を逸らすことができない。

 

赤の他人の哀しみからも、

目を逸らすことができない。

自分の哀しみから目を逸らすことさえできないのに、

もうどうしようもなくいっぱいいっぱいなのに、

 

人の哀しみから目を逸らすことができない。

 

黄美子のために

蘭のために

桃子のために

 

そうして花は、

手を染めてしまう。

 

弱く、臆病な花だけれど、

それでも

生き続けること、

より良く生き続けることを

 

願い続ける。

 

 

人間が生き続けようとする、

それはどういうことなのか。

 

私はこの物語を美しいと思った。

 

最後に

 

花は命そのものとしてかかれており、だから名前が花なのだ。

 

最後は

 

個の命が祝福を受けるという場面で終わっている

 

 

 

 

 

 

なんだ、結構死と隣り合わせだったんだな、と大晦日に思い至ったことと、明日の迎春につなげるために。

死ぬ時は切腹

そう決めた高校時代、

感情失調症?だった。

 

なんだか、何にも、感じることができない。

多分、昔は違っていたよな、ぼんやりとそう感じながら、

なんかどこかで、命を続けることのできない危機に出会っていたのだと思う。

故に、

死ぬ時は切腹と思い定めたことは、

今思うと、それでも生きろ、という何かが、よこしてくれたものだったと。

 

自死する時は切腹

そう決めたことで、生き延びることができた。

 

死んでもいいけれど、生きたかったのだと思う。

 

でも、死んでもいいかもという思いはいつもあって、

アルコールで酩酊することで、そんな思いを小出しにすることで、

生き延びることができたのだと思う。

 

結局、生きていたいのだな。

 

死ということはどんなことなのかわからないけれど、

自分という存在が消えるのを待っている、

同時に、この上なく強烈に生きたい、

そのあわいは、

今も傍に座っているのだろうと思う。

 

だから、

どうしようもない後悔の思いと、

それでも生き延びて来なくてはいけなかった、という言い訳たちを、

迎い入れたい、その足場に立ちたい。

明日に迎春を迎えるにあたって。

 

私は塗り壁師だった。

私は塗り壁師だった。

文章がなかなか書けないのはなぜだろうと思ってきた。

舞踏の稽古仲間の文章に触れることで、その答えが見つかった。

だからその大事なことを忘れないために、ここに記したいと思う。

 

私にとって、

思いとか、文章とかは、恥を上塗りするためのものだった。

そもそも、

思いが、

思いがこうあれば生き延びることができる、

というところから作られたものであったので、

欲しがりません、勝つまでは 的な文章しか書けなかったのだと思う。

それをやっと、少しだけ、離れてみることができるようになった、ように思う。

だから、見えたことは、

私は塗り壁師だったということ。

それを出したら壊れてしまいます。

そういう思いが出ないように、塗る、塗る、塗る。

鼓舞する言葉で塗る。

前向きな言葉で、

だめだだめだだめだと己を否定する言葉で塗る。

 

前向きな言葉も、否定の言葉も、出どころも、役割も同じだった。

壊れてしまわないように、壊してしまわないように、

嘘の言葉を無理やり引き摺り出そうとしていた。

そして苦渋の材料で、恥の上塗りの作業を繰り返していた。

 

でもそろそろ、塗り壁師はやめたい。

やめられなかったのは、

人や自分をさんざん傷つけてきたことの哀しみに向き合いたくなかったから。

でもそろそろ、塗り壁師はやめたい。

 

向き合おうとした後のことはわからない。

でも向き合うことは、我が倫理だと感じる。

だから、向き合おうと思います。

 

 

ユリシーズオンラインイベント 「なぜ、いま映画なのか」 『道 パッサカリア』をめぐって を見て

映画はほとんど見ない、

映画と映像作品の違いもよくわからない、

凡愚の私であるが、

原初舞踏を稽古してくださっている最上師と、

祝祭性0のボングジョークに付き合ってくれる飯田監督が関わっている作品であるから、

このオンラインイベントは見ました。

www.youtube.com

そして

問われた。

 

人間が本当の人間であるということは、何をもってして、そう言うことができるのだろうか。

 

それがこのイベントで語られた「言葉」が私に突きつけた問いであった。

 

その言葉たちはまた、

未だかつて経験したことのない境地に導いてくれる、

未知の言葉たちであったので、

このトークイベントの感想を文章にすることは私には、できない。

かろうじてできることは、

断片的なものとして記すること。

以下、思いつくままに書いてみる。

 

最上師が創始した原初舞踏。

飯田さんが身体とメカを使って生成させようとするもの。

人類の霊性の、ひとつの到達点への2つのベクトルが出会い、

導かれたように出会ったもうひとつのベクトル。

それが、伴田良輔さんだった。

 

伴田良輔さんが映画制作の上での苦しみについて語っていたことは、

最上師がSNS上でよく呟いている原初舞踏におけるパッション(受苦)と同質なのだろうか?

 

0、01秒単位の編集と語っていたことは、同じく最上師が語っている、

0と1との間を無限に切り裂いていく、ということと同じなのだろうか。

 

最上師の原初舞踏は舞踏と名乗ってはいるが、いわゆる舞踏ではない。

飯田さんがカメラで写し、編集するものは、映像作品と名乗ってはいるが、いわゆる映像作品ではないだろう。

伴田さんはこの映画を作るにあたって、既存の方法を一切排除してきた旨のことを語っていた。

伴田さんのこの「映画」も、いわゆる映画ではないのだろう(私は21日に見に行きます)

 

稀有な創造性が既成の言葉たちを遥かに超えていく、その現場近くに身を置ける幸せを感じる。

 

そして、このトークイベントで語られた言葉たちでさえ、創造の言葉であるにしても、生成の現場の、おぼつかない映し絵でしかないのだろう。

私個人としては、映画を見にいく前にこのトークを聴くことができたことを、ありがたいと思っている。

映し絵でさえ、これほどのものだったのだからと、生の体験をとても楽しみにしている。

 

写し絵などと、とんでもないことを言ってしまったが、ご三人の言葉たちは、語ることのできない霊性に限りなく近づいている言葉たちなのだろう。

だからこそ、私も問いを持つことができた。

 

人間が本当の人間であるということは、何をもってして、そう言うことができるのだろうか。

 

もっとシンプルにこう問うこともできる。

 

本当の人間とはいかなるものか。

 

最後に、

司会の出津さんが「聞き惚れてしまいました」と言っていた、最上師の言葉は圧巻だった。

長年原初舞踏を稽古してきているにもかかわらず、最上師のSNS上の言葉を読んでも今ひとつ理解できないボンクラの私なのだが、語られる言葉は身に積もっていく。

今回は特にそうだった。

最上師の語る言葉を筆記することで、原初舞踏論といった、まとまった形での書籍等ができないか、などとも思った次第です。

 

 

 

 

原初舞踏の仲間で、東京巡礼

11月19日 日曜

ユリシーズ企画の東京巡礼に参加した。

その時のことを紹介したいと思います。

 

1 常盤橋の上をスローで歩く。

まず、写真にあるように、常磐橋の上をスローで歩きました。

ただゆっくり歩くのではなくて、意識はいわゆる変性意識の状態で歩きます。

顕在意識をできるだけ引っ込めて、潜在意識を優位にして自身の内側と外側を「観る」

その状態で、超ゆっくり歩きました。

すると、自分の周りの空間がいつもの空間とは全く違うものになります。

透き通った、静寂な世界が現れます。

もちろん音は聞こえているし、周りの景色も見えているのですが、

音への評価がなくなり、景色の距離感がなくなる感じになります。

しばらくその世界を楽しんでいると(その世界がとっても心地よいというか、澄んでいるのです)『思い』がやってきました。

その思いというのは、人の世をよくしようという思い。

自分を立たせてくれるこの橋も、目に映る建造物も幾多の人々が働いてつくってきたもの。

そういう建造物で都市はできている。

そういった『思い』が意識と共にあったのです。

確かに、

世を悪くしようという思いで作ったものならば、今あるこのようなものではなかっただろう。

今ここは、善なるものでなりたっている、

澄んだ静寂の世界で、そう確信していました。

 

2 船の上で舞踏をする。

次は日本橋船着場から船(貸切で椅子のない船)に乗りました。

景色を楽しむのもそうですが、船上で床稽古をすることも大きな目的でした。

床稽古とは原初舞踏の稽古で必ずといっていいくらい毎回する稽古なのです。

簡単に説明すると、床の上に10分横たわり、10分かけて立ち上がり、最後の10分で歩いたり自由に動いたりする、というものです。

私は、この床稽古が大好きです。

それを今回は船上でできるということで、とても楽しみにしていました。

ところが、この床稽古の前に、予期せぬプレゼントがあったのです。

みんなが 思い思いに景色を楽しんでいる時、目を瞑って、船の揺れに身を任せていました。

すると、今ここにこうしていられることが、とてもとても有り難いことと感じられたのです。

それは、今こうして船に乗って目を瞑って、揺られて気持ちがいいということではなく、

今までのこと、それはそれは数えきれないほど多くの人たちや、人でないものや事柄に包まれてこの命はあるんだな、言葉にはできづらいのですが、言葉にするとそんな感じでした。

気がついたら、瞑った目から涙が流れていました。

こんな体験は滅多にすることがなかったのですが、

船上での床稽古は、それ以上に言葉にできづらいものでした。

船の床に横たわり、身体中を緩められるだけ緩め、船と一体となり、さらに意識を広げると、

仰向けの目に映る景色が自分、でした。景色だけではなく、風も音も、感じたり、聞こえたりするものではなく、それそのものが意識でした。

船も景色も風も音も自分も同じものの違った現れなのであって、一緒なのだ、同じ粒子。

言葉にするとそんな状態にいたのだと思います。

船の上は至福の空間であり、時間でした。

 

3 越中島にて階段登りと扇振り向き

最後に越中島で階段登りと扇を使った所作をみんなでやりました。

この時も、自分が扇に乗って広がっていくと同時に、扇の中に空間(景色やその他)が入り込んでくる(これもうまく言葉にできないです)そういう不思議なことが起きました。

4 最後は打ち上げ

この後、門前仲町で打ち上げ。

これは現実的に、とてもとても楽しい時間でございました。

 

実は、この船を使う東京巡礼は7年ほど前に最上師の企画で行ったことがあります。

その時の感想をこんなふうに書いていました(FBの記事より)

 

すべてはプレゼント。東京巡礼から二日後、出張に向かう車の中で、ふと訪れた実感。いい悪い、損得を越えて、人工、自然も問わず、目に映っているもの耳に聞こえているもの、体の感覚、思考、すべてはプレゼント、という感覚があった。東京巡礼以前、人工物の、都市の中で、生き延びなければ、という脳内プログラムが、いつも働いていたと、今わかった。プログラムは思考パターンの維持を最優先するから、すぐに復帰、できたと思っているのだろうが、ところがどっこい、私はあなたの関わり得ないものたちと交合してしまったのだよ。

 

7年前おぼろげに直感したものを、今回より具体的に体験したのだと思いました。

最後に、こんな素敵な企画を丁寧に作ってくださり、参加するだけにしてくださった、ユリシーズのコアメンバーの皆様、本当にありがとうございました。