原初舞踏の仲間で、東京巡礼

11月19日 日曜

ユリシーズ企画の東京巡礼に参加した。

その時のことを紹介したいと思います。

 

1 常盤橋の上をスローで歩く。

まず、写真にあるように、常磐橋の上をスローで歩きました。

ただゆっくり歩くのではなくて、意識はいわゆる変性意識の状態で歩きます。

顕在意識をできるだけ引っ込めて、潜在意識を優位にして自身の内側と外側を「観る」

その状態で、超ゆっくり歩きました。

すると、自分の周りの空間がいつもの空間とは全く違うものになります。

透き通った、静寂な世界が現れます。

もちろん音は聞こえているし、周りの景色も見えているのですが、

音への評価がなくなり、景色の距離感がなくなる感じになります。

しばらくその世界を楽しんでいると(その世界がとっても心地よいというか、澄んでいるのです)『思い』がやってきました。

その思いというのは、人の世をよくしようという思い。

自分を立たせてくれるこの橋も、目に映る建造物も幾多の人々が働いてつくってきたもの。

そういう建造物で都市はできている。

そういった『思い』が意識と共にあったのです。

確かに、

世を悪くしようという思いで作ったものならば、今あるこのようなものではなかっただろう。

今ここは、善なるものでなりたっている、

澄んだ静寂の世界で、そう確信していました。

 

2 船の上で舞踏をする。

次は日本橋船着場から船(貸切で椅子のない船)に乗りました。

景色を楽しむのもそうですが、船上で床稽古をすることも大きな目的でした。

床稽古とは原初舞踏の稽古で必ずといっていいくらい毎回する稽古なのです。

簡単に説明すると、床の上に10分横たわり、10分かけて立ち上がり、最後の10分で歩いたり自由に動いたりする、というものです。

私は、この床稽古が大好きです。

それを今回は船上でできるということで、とても楽しみにしていました。

ところが、この床稽古の前に、予期せぬプレゼントがあったのです。

みんなが 思い思いに景色を楽しんでいる時、目を瞑って、船の揺れに身を任せていました。

すると、今ここにこうしていられることが、とてもとても有り難いことと感じられたのです。

それは、今こうして船に乗って目を瞑って、揺られて気持ちがいいということではなく、

今までのこと、それはそれは数えきれないほど多くの人たちや、人でないものや事柄に包まれてこの命はあるんだな、言葉にはできづらいのですが、言葉にするとそんな感じでした。

気がついたら、瞑った目から涙が流れていました。

こんな体験は滅多にすることがなかったのですが、

船上での床稽古は、それ以上に言葉にできづらいものでした。

船の床に横たわり、身体中を緩められるだけ緩め、船と一体となり、さらに意識を広げると、

仰向けの目に映る景色が自分、でした。景色だけではなく、風も音も、感じたり、聞こえたりするものではなく、それそのものが意識でした。

船も景色も風も音も自分も同じものの違った現れなのであって、一緒なのだ、同じ粒子。

言葉にするとそんな状態にいたのだと思います。

船の上は至福の空間であり、時間でした。

 

3 越中島にて階段登りと扇振り向き

最後に越中島で階段登りと扇を使った所作をみんなでやりました。

この時も、自分が扇に乗って広がっていくと同時に、扇の中に空間(景色やその他)が入り込んでくる(これもうまく言葉にできないです)そういう不思議なことが起きました。

4 最後は打ち上げ

この後、門前仲町で打ち上げ。

これは現実的に、とてもとても楽しい時間でございました。

 

実は、この船を使う東京巡礼は7年ほど前に最上師の企画で行ったことがあります。

その時の感想をこんなふうに書いていました(FBの記事より)

 

すべてはプレゼント。東京巡礼から二日後、出張に向かう車の中で、ふと訪れた実感。いい悪い、損得を越えて、人工、自然も問わず、目に映っているもの耳に聞こえているもの、体の感覚、思考、すべてはプレゼント、という感覚があった。東京巡礼以前、人工物の、都市の中で、生き延びなければ、という脳内プログラムが、いつも働いていたと、今わかった。プログラムは思考パターンの維持を最優先するから、すぐに復帰、できたと思っているのだろうが、ところがどっこい、私はあなたの関わり得ないものたちと交合してしまったのだよ。

 

7年前おぼろげに直感したものを、今回より具体的に体験したのだと思いました。

最後に、こんな素敵な企画を丁寧に作ってくださり、参加するだけにしてくださった、ユリシーズのコアメンバーの皆様、本当にありがとうございました。