来し方⑧ ~私的メモ

舞踏を、なぜ稽古しているのか。

うまく言葉にできないでいるのだが、

ノートの切れ端一枚に書いてあった、

まだ青春といっていい頃の文章に、ああそうなんだなぁと思えるものがあったので、自分のために書いてみる。

以下

楽になった。○○と○○がきっかけになったと思う。

人に対する憎悪がかなり消え、いろんなひとがいるんだなと、

見る人ごとに感じられるのがうれしい。よかったな、と思う。

苦しかったからな。

いとおしくて、受け止めたいのだけれど、怖くて、それでも受け止めようと長い間あがいていた。

だめだ、だめだ、だめだ、だめだ、だめだ、だめだ、だめだ、そんな自分じゃ、こんな自分じゃない、こんな自分じゃない、こんな自分じゃない、俺はもっとちがう、もっとちがう、特別な何かがあるはず。

こわばりが俺を縛り、世界は俺から遠かった。いやだった、いやだった、いやだった。

けれど俺は、たくさんの人にほぐされた。もちろん俺もがんばった。けど、がんばりすぎて疲れた。

俺にやさしくしてくれた人がたくさんいる。

俺は今、人を俺の中に感じられることがとてもうれしい。人をそのまま俺の中に受け止めていいることが、とてもうれしい。

 

俺はもっともっと好きなようにいきたい。人を自分の中にうつしながら、生き物を自分の中にうつしながら、

木を、草を、花を、風邪を、雲を、水を、

怠惰やせこさや弱さや汚さ、

俺はどこまでうつしていけるのだろうか。どれだけうつしていけるのだろう。

 

俺は俺のことも、もう少し素直にうつせると思う。

 

・・・・・・

そうか、私は、うつしたかったんだ。

うつすはひらがなだったので、たぶん、移すや、映すをイメージしていたのだろうか。

この時は表現のこととか、全く考えていなかったのに、無意識では表現の欲求があったのだろう。

今では、人の尊さ、かけがえのなさ、やさしさもうつしたい、表していきたいと思っています。

私的メモになってしまい、すみません。