教員生活10年目の頃。
考えていました。今後のこと。
自分は何を武器に教員をやっていくのか。
社会科が好きだったので、社会科の授業のプロになる。
カウンセリングを勉強してきていたので、それを深める。
EM菌を活用した環境教育を始めていたので、環境教育を進める。
うーん・・・
学級経営も同じ様なパターンを繰り返してきていたので、悩んでいました。
そんなある日。
ふと、思ったのです。
障害のある子どもたちと関わってみたい。
数年前初めて小1の担任になった時、身体に障害がある子がクラスにいました。
初めてのことの上に、個別にその子の支援をしながら学級を運営していくことは大変でしたが、その時のことがずっと心のどこかに引っかかっていました。
また、それまでの学級経営の中で、勉強が苦手な子、感情が抑えられない子、ちょっと変わった子、そんな子たちが気になってきたんだなぁと思い当たりました。
その当時、障がい、ということで思い浮かぶのは、ダウン症の人のことです。それまで私はダウン症の人と関わったことがありませんでした。イメージでしか知らなかったのです。
だから、正直に言いますが、ダウン症の人のことが怖かった。
まずいな、このまま、それは嫌だな、と思いました。
それなら、養護学校か、特殊学級に行こうか、と上司や先輩に相談すると、
「養護学校はあまりよくないから、行くなら特殊学校のほうがいい。」(どうもその当時、養護学校の教員はあまり働かない、というイメージを持たれていたようです)
「一度そっち方面に行くと、普通学級には戻ってこれないよ。」
そんな意見をいただきました。(まだまだ障害児教育に対する偏見の強い時代だったのでしょうか)
普通学級(正確には通常学級)に戻れないということは、いろいろなことをあきらめるということもわかりました。
すごく悩んだ末、最終的に決心したのは、流れはそっち(障害児教育にかかわる)にあると感じたからなのですが、その時期の私は変な体験をしていたのです。
それは、じゃんけんに負けない。
じゃんけんをするときに自分の中と周りの空間を静かになるようにします。すると、相手の出すじゃんけんの形が、相手側の空間に見える(ような気がする)のです。だから、それに勝つように出すと勝つ、というわけです。
また、踏切で待っていると電車がどちらから来るのかがわかる。
やはり、自分の中と、周りの空間が鎮まるように整える。すると、自然に首が右か左に向いていて、その向いた方向から電車が来る、というわけです。電車の音がするとそっちの方を自然と見ますよね。それと同じ。音は聞こえないけれど、顔がその方向を見ているといった感じでしょうか。
でも
勝とうとしたり、雰囲気を感じようとしたり、じゃんけんの形の映像を無理に見ようとしたり、(こっちから気配を感じる、右だ!)と思ったときは、負けたり、予想が外れたりすることが多かったです。
変な話ですが、
自然にそうなる、自我は関わっていない世界なのだぁ、と思いました。そんなことが続いたので、障害児教育にかかわるのは自然の流れでした。養護学校にするか、特殊学級にするかは、健常の子供たちとのかかわりにまだまだ未練があったので、特殊学級に行くことを選びました。
翌年の4月には特殊学級の担任になっていました。
PS その後しばらくして、じゃんけんに負けないことも、聞こえない電車の音を聞くこともなくなりました。