教育にとって大切なもの①


 青年期に教育について考えたことをもとに、今回加除訂正し、「教育にとって大切なもの」について改めて考えてみました。長いので、①と②に分けてアップしたいと思います。

1 たわいのない欲求
 私を見て、私をかまって。誰もが持つであろう、たわいのない欲求。しかしそれは、とてつもなく強烈で、しかも危ういものだった。そのことを私はずっと忘れていたが、夢で知ることができた(今日はこどもの日!参照)。
 ほとんどの子どもが全身全霊で抱えている根源的な欲求。私たち子どもにかかわる大人は、このたわいのない欲求が危ういものであることを知っていたい。そして、その危うさを感じ取ることのできる感性がほしい。

 

2 変質した「たわいのない欲求」は刃(やいば)になる
 「たわいのない欲求」は、なぜ危ういものなのだろうか。
 感情は、私たちの生活に味わいをもたらし、彩りのあるものにする。もちろん、その味や彩りは明るいものばかりとは限らず、ときには好ましくないことを引き寄せる。過去に由来する感情によって個人の「現在」「未来」がほんろうされることは珍しいことではない。さらに、感情が「満たされなかったたわいのない欲求」に突き動かされたときは一個人のみか、複数の人たちに回復不可能かと思わせるほどのダメージを与えてしまう。
 しかし、それがどれほど激しいものだとしても、感情が生起しない、冷淡な世界のほうが私たちにとっては、より耐え難い世界のように思われる。その冷たい世界でかたくくらく研がれているものが、欲求の刃(やいば)だ。
 冷淡な静まり返った世界に人がとどまり続けるとしたら、それは想像を超えた「痛み」を受けながらそこに居続けることなのだ。居続ける人は、その「痛み」を少しでも忘れようと、意識に浮上してこないように、刃を研ぐことに専念する。その「痛み」こそが、かつて誰もが持っていた「たわいのない欲求」の変質したものなのだ。