教育にとって大切なもの②

教育にとって大切なもの①に続いて、後編②をアップします。

 

3 「たわいのない欲求」を変質させないこと
 「たわいもない欲求」とは、生まれながらに持っている欲求。それが満たされたときに、私たちは落ち着いて、考え、感じ、思うことができる。けれども満たされないときは、欲求は形を変え、その欲求の力があまりに強いがために、私たちの可能性は引きずられてしまう。腹がひどく痛いとき、「腹が痛い」ということが、その時の最も生々しい現実であるということと同じことだ。
 だから私たち大人に必要なことは、自分のかかわる子どもの「欲求」が「痛み」に変わるのを見過ごさないことであり、「欲求」を「尊さと進むべき方向」に変えていくことだ。
 では、どのようにして「欲求」が「痛み」に変わるのを防ぎ、「尊さと進むべき方向」につなげていけるのだろうか。

4 結果よりも過程を大事にする。
 具体的にはどうしたらよいのだろうか。
 それは、結果よりも過程を大事にすることにより、「尊さ」を創造することだ。
「尊さ」が生まれるためには、過程を共に生き、感動を共有することが必要だ。例えば、次のような学校での情景を思い浮かべてもらいたい。
 子どもが、勇気を振り絞って挑戦する。例えば鉄棒の逆上がり。何回も失敗する。あきらめかける。でも、仲間に励まされ、何回も挑戦する。できた!その子も、仲間もともに喜ぶ。その過程を共に生きたからこそ、「尊さ」が生まれる。これは一つの例で、学級全体で挑戦する場合ももちろん辿るプロセスは同じだ。
 また過程の中でこそ思考が育つ。思考することは、本来楽しい行為だ。見たり、聞いたり、感じたり、つまり認識したことを材料に、私たちは「問い」を創造する。
「それは何なのか。」
「それはなぜなのか。」( 物心ついたころの子どもが、大人を質問攻めにしている時の生き生きとした表情はすぐに思い浮かぶだろう)
 思考することによって私たちは混とんとした未来に、進むべき方向を見つけることができる。
 私たち大人がするべきことは、感情が起こることや思考することを保証すること。豊かな認識の基となる細やかで豊かな感性が生まれるために、環境を整え、待ち、感情や思考の芽生えが育つように手助けするのが教育だと考える。