みんなちがって、みんないい ~ 金子みすゞ①

f:id:gugugudou:20200512193306j:plain
f:id:gugugudou:20200512193237j:plain


みんなちがって、みんないい

金子みすゞという童謡詩人の「私と小鳥と鈴と」の中の一フレーズ

 

私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、

飛べる小鳥は私のように、地面を速く走れない。

私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、

あの鳴る鈴は私のように、たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。

 

みんなちがって・・・有名な言葉らしく、私も気になります。

金子みすゞが、その言葉で伝えたかったことは・・・

考えてみたいと思いますが、その前に他の人の意見を。

原宿に住むコーチ、社長、ブロガーの方(ブログの紹介より)

 

「みんなちがって、みんないい。」本当は当たり前のことなのに、一つの基準ですべての価値を決めてしまいがちな現代において、この言葉は人々の心に鋭く優しく響きます。きっと、この言葉に救われる人も多いことでしょう。価値や基準は一つではないのだ、たとえ一つの基準で劣っていても、私の価値は失われないのだ、と思い出させてくれる言葉です。

 

この方の言葉は、「人には価値が必要である。」という前提で語られているように感じてしまい、違和感があります。

矢崎節夫という方はこう言っています。

(前略)みすゞにとっては小鳥も鈴も自分そのものであり、優劣をつけるという考えはありません。(中略)みすゞの詩は人間や動物にとどまらず無機物に対しても温かな眼差しを向けています。先ほどの詩に「鈴」が読まれていることからも分かるように、宇宙空間にあるもの、地球上のすべてのものは同等の価値を持つとの考えから、命のある、なしは全く関係なく、どちらも尊いのです。

おそらく本人はこのような宇宙の真理を理屈なしに、ごく自然のこととして捉えていたのだと思います。ですから、例えば石を見ると、その石に心がすっと移って、石の視点で世界を見ることができた。この世に存在しているという、そのこと自体がいかに素晴らしいことかという感覚を常に心に宿していたのではないでしょうか。みすゞは一滴水からでも宇宙を見ることができた、稀有の詩人だったのです。

 

共感できます。

「私」も、人でない「鳥」も、無生物の「鈴」も同じ仲間。

みすゞは、鳥や鈴と一緒に、生を謳歌している。

みすゞは、生きとし生きるもの、森羅万象が生を謳歌していると感じていたのでしょう。

 

ただ、みすゞはは「みんなちがって・・・」と言っています。

矢崎さんは、ここではその部分には触れていない。

自分なりに考えてみます。

以下

次回後半をご期待ください。