茨木のり子 「倚りかからず 」

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よりかかる椅子 メイドインチェ


茨木のり子の詩が好きだ。

「倚りかからず」という、のり子73歳の時に書いた詩。

 

倚りかからず

 

もはや

できあいの思想には倚りかかりたくない

もはや

できあいの宗教には倚りかかりたくない

もはや

できあいの学問には倚りかかりたくない

もはや

いかなる権威にも倚りかかりたくない

ながく生きて

心底学んだのはそれぐらい

じぶんの耳目

じぶんの二本足で立っていて

なに不都合なことやある

倚りかかるとすれば

それは

椅子の背もたれだけ

 

・・・・・

 

がんじがらめ

縛られている

身動きできない

 

なにに

 

それは

自分で作り上げた、

他人(ひと)の思惑に、常識に

自らの、正義に正論に道徳に

脳の思考の枠に

それ故の

感情に

また、

人の権威や

形にならない暴力に

 

しばられ、うごけない

 

なぜ

 

倚りかかって生きることが

あたりまえのことになっているから

倚りかからずに生きることが

とてもこわいことだから

 

ほんとうは

 

手はしなやかに

天に向かって

らりぱっぱ

 

足は強靭に

滑るステップ

すっとんらとーん とーん トーン

 

てな、わけだ。

 

人はみな、

かろやかに

天の操り人形のように

うごける

はずなのだ。

 

それが、

茨木のり子の言っている

「じぶんの耳目 じぶんの二本足で立っいて 

なに不都合なことやある」

なのだ。

 

なーんにも、不都合なことなんかないさ。

ありゃしないよ。

 

君の行きたいところに行っていい。

君の言いたいことを言ったらいい。

君が歌いたいように歌ったらいい。

君が踊りたいように踊ったらいい。

 

笑いたいときに笑って

泣きたいときに泣いて

怒るべきときに怒って

 

なに不都合なことやある

 

全部OK

なのだ。

それでいいのだ!

 

でも、きっと、倚りかからなければ

疲れるだろ。

だから、倚りかかれる

いい椅子があればいい。