鬼滅の刃がわからない

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鬼滅の刃がとてつもない人気らしい。

私は、

まったく乗り遅れている。

実は、

先駆けて、

コミックを読んではいる。

鬼滅が、ジャンプの異端とされ、

レンタルコミック屋で簡単に借りられた頃。

 

なに、異端!おもしろそうではないか。

で、ひねくれものの飲んだくれは、

異端ならば読んでみようじゃないか、と思って読んだ。

 

そう、読んではいるのだ、人々が騒ぎ立てる前に。

コミック5巻まで読んだ。

で、どうだったかというと、

あまり面白くなかった。

だから、なぜ今、きめつきめつきめつと、

人々が騒いでいるのかが疑問なのである。

 

もちろん、5巻でやめてしまった私は仁和寺にある法師なのだとおもう。

仁和寺にある法師とは、

徒然草第52段のはなしである。

 

仁和寺にある法師、年寄るまで、石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思い立ちて、ただひとり、徒歩よりまうでけり。極楽寺、高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたえの人にあひて、「年比思ひつること、果たし侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事ありけん。ゆかしかりけれど、神へ参るこそ本意なれと思いて、山までは見ず」と言いける。

すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。

 

(口語訳)

仁和寺にいた、ある法師が、年をとるまで石清水八幡宮をお参りしたことがないことを情けなく思い、ある時思い立ち、一人、徒歩でお参りに行った。(山麓の)極楽寺と高良神社をお参りし、(八幡宮へのお参りは)これだけと思い込み岐路の途についた。

以下略

 

きっとそうなのだろう。

 

私飲んだくれは、仁和寺の法師なのだ。

 

飲んだくれぇ、あんた、最後まで読んでから、言ったらどうなんだ、

というポジさんの声が聞こえてきそうである。

 

確かに私はコミック5巻までしか読んでいない。

6巻以降話が急展開して、とてつもなく面白くなったのかもしれない。

読んでいないのだから、言う資格がないことは重々承知しているのだけれど、

5巻までよんで、魅力を感じなかったのだから、その後もたぶんそうなのだろうよ、

という内なる声も響いているのは確かだ。

 

では、

世間一般と、

私の感性の不一致はなんなのだろう?

 

たぶんそれは、

 

世界の割り切れなさ、

不条理、

に関すること。

 

 

鬼滅の不条理。鬼滅の世界の割り切れなさ。私にはリアリティがなかった。

不条理に、リアリティがなかった。割り切れなさに、リアリティがなかった。

 

そうだったのか!

 

うーん

一人で納得し、とても申し訳ないが、

自分なりに訳が分かって、よかった。

よかったが、それで、鬼滅の圧倒的な人気の訳が分かったということではない。

機会があったら、

コミックなら、

l最後まで読んでみようとは思っている。