自分軸とか、多様性とか、いい言葉なのだろうか?ちょっと考えてみた。

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変なことを考える。

考えるだけではなく、言葉にしてしまう。

だから私は飲んだくれと言われる、

なーんてこと、どうでもいいんだけれど、

最近気になるのです。

 

例えば、

自分軸。

諸諸の本によると、

人には軸があった方がいいということらしい。

まぁ、そうだとおもう。軸がないと疲れやすいからね。

でも、自分軸、自分軸、自分軸と、自分が入ると、どうなのかなぁと、

思ってしまう。

 

また、

多様性

という言葉にも、

危うさを感じる。

 

いろんな人がいていい。

みんなちがってみんないい。

それはそうなのだが、なんか違和感を感じるのだ。

 

多様性とは、自分の中の多様性なのではないのか。

 

どういうことかというと、自分の中にいろんな自分がいる。

例えば、

あれ、飲んだくれなのに、こんなまともな俺がいる。

どうした、なんでそんなところで感動する俺?

エトセトラ

 

なのだが、

自分の中に多様な自分がいたことに驚き、喜ぶ幸せを私は望む。

 

それがだよ、自分軸とか言って、

固まった自分が、

おれはおれ、ひとはひと、

多様性万歳、みんなそれぞれ勝手にやればよいではないかぁ!

個性尊重、はいわかりました、でも、自己責任だからね、そこんところよろしく!

 

そういうふうになってしまうのは、本末転倒なのではないかなぁ。

 

喜怒哀楽、

それは生きる上で、

選ぶことできないよね、

結果、諸々浴びまくって、

結果、やむを得ずながら、自らの多様性を受け入れ、

それをわが身とした人が、

なんだ、こいつも同じではないかと隣人にも多様性を見つける。

そのときはじめて

ふらふらした軸があなたと隣人にあるのだろうと思うのだけれど。

 

 

ふらふらゆれながら、移り行く軸。 

それこそが、

これからずっと、

生きていくことができる軸になるのだろうと思う。

自分軸というならば、それは、そういう軸であった方がいい。

 

そんなことを思う今日でした。