「世界は贈与でできている」を読んで

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生きていくのは

ああみっともないさ

あいつが死んだときも

おいらは飲んだくれてた

・・・・・

拓郎の

「おきざりにした悲しみは」より。

 

飲んだくれの私だが、同じ経験はない。

しかし、みじめだと、自分をなじることは、

数知れずあった。

 

そんな時、ふとおとずれたもの。

それは、わたしはたすけられたな、

たすけてもらったなというおもい。

そして、

あたりまえだと思っていたことが、

本当は、かけがえのないことだったのだな、

という思い。

 

しかし、同時に思う。

こんな私に、どうして?

 

私はそれを与えられる資格がない、

それなのに。

 

 

「世界は贈与でできている」

という本を読んだ。

近内悠太という人が書いた本だ。

いろいろな意味で、

難しい本だが、

著者の思いに共感したので、

 この本の感想を書いてみたくなった。

 

・・・・・・・

 

死んだら、贈与という、奇跡のループを、もう体験できない。

ぎりぎりと、どんなにみっともなく、みじめであっても、

生きているからこそ、

生きていれば、

きっと、身の回りの全てのあたりまえが、

かろうじてそこにある奇跡であり、贈与なのだったということに、

気づく可能性がある。

 

生きていれば、

世界は贈与に満ちているということに気づく可能性がある。

 

世界の多くが自分から離れていると感じる人ほど、

死の近くにありながらも、同時に、

「すべてよし」の生命のうずのすぐ近くにいる。

だから、生きよう。

生きて、

贈与でできているこの世界の、

醍醐味を味わおう。

 ・・・・・・・・・・・

まったく、

本当に全く持って、

自分勝手な感想でありますが、

教育者でもある近内氏は、

「世界は贈与でできている」で、

そんなことを願い、この本を書いたのではないかと思えるのです。

 

伝えたいことが盛り沢山すぎたり、

まどろっこしいところもありますが、

機会があれば、ぜひ手に取って、

若き思索者の情熱にふれてみてください!