「僕はなぜ小屋で暮らすようになったか」高村友也 著のおすすめ

雑木林のなかで、一人暮らしたい。

そう思うことがある。

キャンピングカーで旅を住みかとしたい、

そう思うことがある。

何にも煩わされずに、一人静かに暮らしたい、

そう思うことがある。

 

f:id:gugugudou:20200707200559j:plain

先達の本、

「僕はなぜ小屋で暮らすようになったか」

から引用、

以下

 

(略)

なんでもいいから、自分一人横になって誰にも邪魔されずにいつまでも寝ていられる土地が欲しい。

すぐに山奥の静かな雑木林の中に二束三文で土地を買って、自分の手で小さな小屋を立てた。(略)

今の生活に至った理由や目的は一つではない。(略)

しかし、あえて一言で言うならば、「自由に生きる」ために僕はこの生活を選んだし、

選ばざるをえなかった。

自由に生きる。ありきたりなモットーだが、それ以外に総括のしようがない。

自由に生きるとはどういうことか。

それは、自分の中にあるものをすべて投じて、自分自身に忠実に、全人全霊で生きるということである。もしも、自分の中のごく一部の能力、ごく一部の思考、ごく一部の人格のみによって、上っ面をなぞるような毎日しか送れないとしたら、、それ以上の悲劇はない。(引用終わり)

・・・・・・・

この著者の、生きてきた道は、苦しい。

読んでいて、よく生き延びることができたな、と怖くなった。

自分にはそこまでのことは、なかっただけに、

小屋と河川敷で、交互に暮らす作者の、

そうせざるを得なかった、

生きづらさの大きさを、想った。

 

著者の高村友也さんは、正直な人だ。

自分に嘘をつけない。

ついたら、それほどの悲劇はないと思っている。

生きづらいのも、その正直にあるのだろう。

正直とは、馬鹿正直なんだね、と言って、暗に褒められるようなことではない。

真の正直は、周りを脅かす。

いやな思いをさせる。

だから、多くの人は正直を選んで使っている。

得なように正直を使っている。

 

でも、真の正直以外、すべて悲劇! と認識した者が、

社会でまとわりついた垢を、すっかり洗い流して透明になるためには、

小屋で生活することが必要だったのだ。

 

このほんは、読む人を選ぶと思う。

 

縁を感じたら、ぜひ読んでください。

 

「僕はなぜ小屋で暮らすようになったか」

高村友也 著  同文舘出版