健康であるために

病気は嫌だ。

病気になりたくない。

そのための健康志向。

そのための予防医学

 

あら、これは、強迫観念かしら?

 

病気になりたくない、健康でいたい。

いまよりもっと、もっと、健康でいたい。

 

それは、あなた、もう病気です。

情報過多病、もがん病(もしかしたら、がん?)、

もけん病(もっともっと健康になりたい病)‥‥・・・

なんらかの診断がつくでしょう。

 

 

おおい!!飲んだくれ、お前なぁ、なに高みから、偉そうなこと、いってんだよ。

みんな不安なんだよ。

心配なんだ。

 

だから、

新聞広告の、〇〇%引きの健康食品、ありまくり!なんだろ。

ひとのきもしらないで!

 

それにお前、ちょっと前は、

調子がいい日なんてない、っていってただろ。

いっつも、調子が悪い悪いって言って、

 

調子が悪くない状態が心底欲しいって、言ってたよな。

それなのに、今はちょっと調子がいいからって、

なに、えらそうなんだ?

 

いや、弁解いたしますが、

わたしは、調子が悪い日が多かったゆえに、健康になりたかった。

でも、「健康」ってなんなのか、

よく考えてはいなかったんです。

「今の状態はとにかくいやだから、違う状態の自分が欲しい」

という枠に縛られていたのだと思います。

状況的にも、精神的にも。

でも、枠に縛られているのだから、枠外のことは見えていないのですよね。

 

今でない、いつか、

ここでない、どこか、

それを恐れたり、求めたり、し続けて、

大切なことには結局触れ得なかった。

 

そんな思いが今、強くしていますので、

未だ体験していない不調や病気に振り回されるのは、しんどいのではなかろうかと、

そう、思ってしまっているのでございます。

 

言い方はいつもの癖で、高飛車になってはおりますが、

真意は、

心の安心を得ていただきたいのでございます。

 

びょうき、くるならこいやぁ、

おれぁ、いきてるぜ、

ふちょうだろうが、

まとめて面倒見てやらぁ、

なんか、もんくあっか?

 

というように、

不安に対して心のどこかで高飛車におれたら、どんなに良いのかと、

そう思っての高飛車でありました。

 

いつも叱られてばかりでございます、トホン、、ホン