飲んだくれが、
おもいついた。
わたくしの身体は、
人類の宝であります。
なんのこっちゃ(あいやぁ、いつものことですみません)
よろしいでしょうか。
イッキに行きますよ、ブログですから!
以下、
・・・
身体(からだ)がなければ、
何事も成り立たない。
生産活動。芸術活動。
「思」も、「意」も、「する」も、「ある」も、
身体(からだ)あってのこと。
もう一つの事実。
「生存」は一人では成り立たないということ。
たくさんの人がいて、それぞれの身体で、
いろんなことをしているから、
今の自分が「生存」している。
また、
自分の身体があり、活動していることで、
世界に影響を与えている。
手を動かせば、空気がゆれる。
世界はかすかにでも、
震えるのだ。
わたくしの身体はわたくしのものではない、
というのは、常に意図しないところで、
わたしの意志のはかり知れないところで、
身体(からだ)は息づいているという事実があるから。
勝手に小さい自我で、どうにかなると思ってもらっては困るのだ。
どうにもならない。
それは病気になったら少しはわかること。
病気になるならないは自分の思い通りにはできない。
身体を身体のままに任していたら、
きっと、病気になるということはないだろう。
身体はからだのままに勝手に身体であり続ける。
勝手に他の身体とともに息づく。
そういった意味で、
身体は、私という自我の持ち物ではない。
人類の宝なのだ。
人類の宝の身体は、今ここで、あんたと関係なしに、
生きている。
宝なのか、ならばタカラとして、
宝と一緒に生きてみるのも、
一興であろうな。