にせものと、ほんものの話し。
私が世界と認識している、それは、
ほんものなのか、
にせものなのか。
これはこれで相当難しい問題らしい。
なので、
一歩引いてみましょう。
今ことさら自分の中で、
話題にしていること、、
それは、
自分の人生は、
本物と言えるのか、
偽物なのかということ。
ずっと、劣等感を持っていきてきた。
私の人生は、
にせもの。
私は、
インチキ野郎(ライ麦畑でつかまえて、より)。
本物が何たるかをわかっていないにもかかわらず、
私は、インチキ野郎だ、と直感できた。
ほう、それは、まぁ、私にもあったよ。
ようするに、思う存分生きている、という実感がないということだね。
まぁ、こんな時代だけど、戦乱の時代ではないからね。
へりさん、そうなんですが、
わたしがずっと、心に感じながらも、
言葉にできなかったことを言葉にしている人がいたのです。
そんなひとが…それは、おもしろいね。
でしょ。
では、引用します。
以下
・・・愛と好奇心が消失してから、何をやっても「自分はホンモノではない」
「自分はニセモノである」という劣等感がついてまわるようになった。
「ホンモノ」の定義ははっきりしている。それは、ある行動の「結果」ではなく
「動機」に関わるものである。
すなわち、自分がそれを好きで仕方なく、
それさえしていれば、時間がいくらでも過ぎていく、
それのほかには何もいらない。
それなしでは生きていかれない。いつもそれのことばかり考えている。
それに携わっていれば自分の奥底から、得体の知れない情熱と集中力が湧き上がってきて、それ以外の雑念はすべて洗い流されてしまう。
そういう対象に時間を費やしている人は「ホンモノ」で、そうでない人は「ニセモノである」
(後略)
引用以上 高村友也著「僕はなぜ小屋で暮らすようになったか」より
私は、本物であることを求めているのだなぁ、と思った。
しかし、やっていることはそうではない。
偽物の上塗り。
だから、落ち着かない、あせる。
きみは、なにゆえ、ほんものであろうとする?
そのほんものとは、他人の評価と関係ないところで生じるのだよね。
だったら、君にとって、本物であろうとするのは、難しいだろ。
それでも、やらなくては。やらなくては。やるんだ おー
あれ?
わたしはかたまっているぞ。
決意の塊。
なにがなんでも、
ホンモノになってやろうじゃないか。
ホンモノの塊だぁ。
もしもーし
飲んだくれ、また同じパターンだよ。
いい加減学習しろよ。
「まだ、固まってません♡」って、
やさしく言ってみたら、どうだ。
そ、そうですね・・・
私、固まっておりました。
ゆったりしたら、たぶんわかります。
ではでは、ご機嫌よろしゅうございます。