戦前、刑務所で日本刀が作られていた。

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日本刀に惹かれる理由。

それはその精神性にある。

日本刀製作は古来神事であった。

 

よく練られ、鍛えられた日本刀は、

宝物として神に捧げられた。

 

反面、日本刀が、戦いの武器として、

戦場で使われてきたことも事実だ。

しかし、戦場における主たる武器は、飛び道具であったという。

弓矢、鉄砲だ。

そして槍。

日本刀は戦場においては、補完的役割の武器であったようだ。

 

戦国武将は日本刀をとても大事にした。

戦うための武器としてではなく、

そこに宿る神性、霊性を大事にした。

 

刀匠が身を捧げ、渾身の想いで練り、鍛えた日本刀は

美しい。

 

私の所有している「江村刀」は、

ちょっと変わり種、

戦前、岡山刑務所で作られたと言う。

 

刑務所で日本刀作り?

また、わけわからんことを!

いや、御不審は毎度のことですが、

毎度の弁明をさせてください。

 

刑務所で日本刀作り、

その計画、実行者は江村繁太郎という岡山刑務所の所長であったという。

 

江村繁太郎という人物は、風貌からして、人間味たっぷり、役人臭のかけらもない、

春風駘蕩たる風格の持ち主であった様だ。

この江村氏が、刑務所内での作刀事業を計画したわけだが、

これは命がけの教化事業と言えるだろう。

なんとなれば、囚人に刀を作らせるのである。

そう、武器である刀である。

どうしてそんなことが可能であったのだろうか?

 

作刀に携わった工員は、無期懲役か、軽くて15年くらいの長期囚ばかりだったという。

しかし、模範囚であった様だ。

看守に、

仮に出所したとしても、人の見本となることはあっても、二度とふたたび、ここへ帰ってくる様なものはいません、

と太鼓判を押された者たちだ。

 

作刀工場の様子等は次の様に語られている。

一歩場に入ると娑婆ではない。無論監獄でもなかった。

(中略)

これからいよいよ作業の見学。
私は場に入る前に「人」は成る可く見ない積もりでいた。ところがいざとなると矢張りどうしても先ず人が目につく。
顔が見え目が動く、手が足が工具が機械が・・・・ありと全るものが目につき全る物音が耳に聞こえてくる。
私はムキ出しの私を露呈した。
見る者も見られる者も一緒くたにその雰囲気の中に溶け込んでしまった。
皆、火が出るようにやっている。

工場全体が本物の「火の玉」だ。槌からも鑢からも目に見えぬ火花が飛んでいる。
脇見一つしない、口は無論聞かない。孜々(しし)営々無言の荒行である。
が、フト見た行者達の顔は? 目は? あゝ何というそれは驚くべき相貌か?

前線で暫(しばら)く生命 を敵前に曝(さら)していると前線勇士特有の相貌になり、永くやっているとやがて仏相になるという。
正しくそれに違いない。工員の皆が皆、仏菩薩乃し聖者の様な相をしている。
娑婆の偉人や利巧人などのそれとは凡そモノが違うし、まして我々如きがいくら殊勝ヅラをしても到底斯様な相にはなれっこない。
なんだか背光がさしている様にさえ覚えた。

私は驚いた。実に驚いた。迚(とて)も適(かな)わん と思った。
そして刑務所工場というような特殊な境(遇の欠字と思われる)に於いてこそ初めて目睹(めみ)し得る芸術神、否、日本刀神の強烈無比なる活動の特殊様相を魂の底から拝んだ事であった。

(中略)
よく一心に働く事を「こま鼠の様に働く」等と謂うが、

此処の働き振りは左様なチョロチョロ型ではなく、まるで狂者のような、
又、阿修羅のような血みどろ奮闘である。
それも決して受け身ではない。

(中略)
今、思い出されるこの見学の印象は大体こんな事である。

私は尚、一二の説明を補足しておく必要がある。
私はこの事業を命がけの事業だと言った。

それは仮に・・・仮にだ・・・百人の荒くれ男(でもあり得ぬ事はない)が、

お手のものたる日本刀を執ってワッと蜂起したとしたら、

この小さな刑務所がどうなるかを想像した丈でも分かろう。
又、工員の活動を能動的だと言った。
それは彼等が
 一、一切の「娑婆」的希望を絶った諦観者であり
 二、贖罪(しょくざい)に日も之足りない大勇者であり
 三、初めて知る造刀三眛(ざんまい)に対する熾烈灼(や)く ような感恩者である事に想い至れば、少しく魂の持ち合わせある者ならば、兒(こ)女子と雖も分かろう。

日本に生を享(う)けなが ら、ふとした事から完全に「一生を棒に振った」不幸な兒達にとって「鍛刀場行」は最大至高の栄誉であり「復活」なのである。

否、成仏の大機なのである。
作刀活動が彼等に於いて生存の全意義となる事は言う迄もない。

純粋熾烈な報謝の営みとなる事は言う迄もない。

 

曾(かっ)てのシタタカ者も、仕事がうまく行った時はただ子供のように喜び(記憶せよ、此処では賞状も 無ければ金牌も無い)
(まして帝展入選などと田舎新聞で噂される事は間違っても無いのだ)、

代わりに、うまく行かない時の彼等の懊悩(おうのう)はどうか。

大の男が泣くのである。

二日も三日もメシを喰わぬ(看守君の実話)、いや、喉を通らんのである。

(後略)

出典  刀劍漫筆(四)ー 大村東崖(邦太郎)

 

引用が長くなってしまったが、

日本刀の不思議な力の一端がお分かり願えたでしょうか。

いやいや、そんなこと言ったって、怖いだろ。

最近でも、富岡八幡宮の事件があって、その時は日本刀が凶器だったじゃないか!

 

そうなんですが、それでも、

日本刀の美しさをぜひ知ってもらいたいと思い、

今回のブログは書きました。

 

日本刀の美しさは、その精神性だけでは有りません。

その姿や、刀身の美しさには、

思わず、見入ってしまいます。

日本刀?

怖いね。

そう思われている方には、ぜひとも、博物館等で、

刀剣を見ていただけたらなぁ、と願っています。