祖母は川向こうの村から祖父の住む町に嫁いで来た。
苦労人で、
おばちゃん(祖母のことをそう呼んでいた)の腰は曲がっていた。
家の料理のほとんどは祖母が作っていた。
おばちゃんのおかずは?と聞くと、
「残りもんでいいんだ。」
と言って、
みんなが食べた後に残ったおかずを食べていた。
そんなおばちゃんは、
おじちゃんが、私にあまりに甘いモノだから、
私に少しだけ、少しだけだが、厳しかった。
とにかく、よく動き回り、一日中家の仕事をしていたようにおもう。
苦労人で働き者だった。
娘が生まれた時、
おばちゃんは、家で寝たきりであったが、
赤ん坊の娘を連れていくと、
布団から起き上がって、娘を抱っこしてくれ、
喜んでくれた。
それから少しして、
おばちゃんは病院に入院した。
おじちゃんの時の後悔があったので、
出来る限り、見舞いに行った。
最初のうちは、
〇〇〇〇も、仕事があって大変だから、
そんなに来なくていいよ、とか、
もういいから、帰って自分のことをやりな、
そう言っていたおばちゃんだったが、
日増しに、
体の痛いこと、
タンをチューブで吸い取るのがとても苦しいことを、
訴えるようになった。
体の調子のいい時には、
家では聞くことのなかった、
昔の話をしてくれた。
家が貧乏で、修学旅行に行くことができない、
それがすごく悲しくて、
どうにかして、行きたいと毎日願っていた。
そうしたら、親戚の人だったか、お金を都合してくれる人がいて、
行くことができた。
そのことがすごく嬉しかった。
また、
家が貧乏だったので、
先生に意地悪された、という話もした。
どんな意地悪だったのか、と聞くと、
理由もないのに、廊下ですれ違う時、
祖母の方によってきて、廊下の壁に押し付けるようなことをしたらしい。
その先生はお金持ちの子供には、全然違う態度だった、
と言っていた。
その後は、見舞いに行っても、眠っているようなことが多くなり、
毎日、見舞いに行くようにしていた。
しかし、死に目には会えなかった。
おじちゃんが逝ったちょうど10年後の、
夏だった。
とても穏やかな死に顔だった。
おばちゃんが元気だった時の話だが、
おばちゃんは娘の頃、
狐に化かされたと言っていた。
近所の友達と一緒に、山に薪を取りに行っていた。
二人で木を集めていると急に周りがグルングルンして、自分ではその気がないのに、
体が勝手に動いて、歩き出したそうだ。
友達が、大声で呼んでくれて、我に帰ったそうだ。
友達のおかげで、ことなきを得たようだが、
もう少し行ってたら、急斜面だったという。
その時のおばちゃんのいうことには、
憑き物には、狐、狸、イタチ、ムジナなどがあるという、
狐が一番たちが悪いと言っていた。
今はそんなことを言う人はいないが、
祖母の頃は当たり前に語られていたようだ。
最後、また変な話になってしまったが、
お盆をきっかけに、後半の話を思い出したので、
記録のために書いてみた。
お盆になると、いろんな思いが巡る。