祖父のこと〜お盆によせて

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子どもの頃は提灯を灯してみんなでお墓参りに行った。(写真はイメージです)


昔のことだ。

妹が生まれ、

弟が生まれ、

7人家族になった。

ずっと7人だと思っていた。

 

私が就職して1年目の夏、

爺ちゃんが亡くなった。

明治生まれ、

尋常高等小学校を卒業し、

キッコーマンに勤めた。

私が小さい時はまだ毎日工場まで通っていたらしい。

祖母の話によると、

幼い私は祖母と一緒に爺ちゃんを送って行ったらしいが、

工場近くの医院のところまで来ると、

もう帰る、と言って

それ以上は見送りをしなかったらしい。

 

母によると、

爺ちゃんは、私が欲しいと言うものがあると、

すぐに、

遠くまでも、

歩いて買いに行ってくれたと言う。

 

大学の学費も爺ちゃんがでしてくれた。

うちはお金がない、だから、お前を大学にはやれない、

そう母に言われていたのだが、

爺ちゃんが、コツコツ貯めた金で、学費を出してくれた。

はっきりとお礼をいう機会がないまま、

36年前の夏、

爺ちゃんは病院で亡くなった。

明治の男で、頑固。

無口で、とてもきちんとしていた。

 

爺ちゃんが亡くなる数日前、

就職して、一人暮らしのアパートで寝ていた私はふと目が覚めた、

すると爺ちゃんが隣の部屋に正座して座っているではないか。

私は寝ぼけた頭で、

あれ、爺ちゃん入院しているはずなのに、

退院したのかな、と思って

あれ、おじちゃん(爺ちゃんのことをそう呼んでいた)、

退院したの?

と聞いたように記憶している。

それには答えずに、

爺ちゃんは、

「〇〇〇〇、整理するんだよ。」

と言った。

あー、夢なのか、

とそのまま眠ってしまったのだが、

その数日後、

母親から、

爺ちゃんが病院で亡くなったという電話があった。

 

私は、整理整頓が苦手で、

アパートもものすごく雑然としていたし、

それは段取りに関してもそうで、

整理できないために、仕事の効率がとても悪かった。

 

きれい好きで、とてもきちんとしていた爺ちゃんは、

孫が心配だったのだろう。

生前は説教の様なことは一つも言わない爺ちゃんだったけれど、

整理ができないことが心配だったのかもしれない。

 

かわいがられながら、

とても大事にされたのに、

それを当たり前だと思って、

爺ちゃんが生きているときは、

ゆっくり話したことも、

感謝を口にしたことも記憶にない。

 

もうすぐ、爺ちゃんの命日。

後悔の念は決して薄まらないけれど、

今年も感謝と、

爺ちゃんと一緒に暮らすことができて、

それが、何よりかけがえのないものであったことを、

伝えてきます。