2011年1月、
父親を見送った。
それまで苦しそうに息をしていた父の呼吸が、
静かになった。
見送ることができたのは私ひとりだったので、
静かなお別れだった。
父と私は、似ていない。
まず、容姿が違っていた。
弟がいるのだが、見た目、親父そっくりだ。
こんな話がある。
随分前の話だが、
母親と、弟の3人で、母方の親戚に行った時のこと。
親戚のおじさんが言う。「弟さん、いい男になったねぇ。」
それで終わりかと思ったら話好きの彼は続けて言った。
「兄弟似てないなぁぁ。」(とても余計なお世話である、ほっといてくれ)
と言う訳で、
父親と私は似ていない、
と言う話であった。
似ていないのは容姿だけではなく、
趣味趣向もかなり違っていたかと思う。
父親は、
野球観戦と釣りが大好き、パチンコ好き、人付き合いがよく、
穏やかだった(父親に怒られた記憶はほとんど無い)。
私は野球に全く興味がなく、パチンコは出たことがなく、釣りもすぐに飽きた。
人付き合いは、
とても難しかった。
それでも、父親と一緒に2回行った富士登山をきっかけに、私も登山が好きになったし、
父親がおいしいと言うものは私もおいしいと感じた。
(父がおいしいぞ、と言ってデパートで買ってくれた、ししゃもと帆立貝は今も大好きだ)
私が小さい頃は、自転車に乗せてくれ、
父の実家によく遊びに行った。
中学校の時、
お父さん、腕相撲やろう、
と言って、
私が勝って以来、
父は腕相撲をしなくなった。
私は勝った瞬間こそ、嬉しかったが、
寂しい気持ちにもなった。
父は、飲んだくれの私と違って、
酒を飲まなかった。
飲まなかったのではなく、飲めなかったようだ。
だから、父と酒を酌み交わしたことは無い。
大学に合格した時、
父が一緒に手続きに行ってくれ(東京は当時の私には未知の世界だった)
終わって帰る時に駅前で、一緒にうどん屋に入ったことがいい思い出だ。
確か私はカツ丼を食べた。
なんとなくだが、父も私に距離を感じていたのだろう。
もしかしたら、父は家庭というものに、一定の距離をおいていたのかもしれない。
しかし、晩年の父の姿をみてきた私は、
それまで感じたことのない感情を抱いていることに気がついた。
それは、
尊敬、
という感情である。
<続く>