「白鵬の脳内理論」(大庭大業 著)を読んでよかった。

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ダヴァジャルガル少年


ムンフバト・ダヴァジャルガル

俺の本名だけど、今はこの世にない名前なんだ(本人談)

「俺」とは第69代横綱白鵬関のことである。(令和元年9月 日本国籍取得)

 

白鵬は15歳の時「力士になりたい」という志を胸に

モンゴルから若者六人と一緒に日本にやってきた、という。

当時の体重は60㎏、相撲部屋からのスカウトを待つも、なかなか声がかからない。

一緒に来た仲間が一人、また一人とスカウトされていく、寂しさと虚しさは募るばかり、

いよいよ明日モンゴルに帰らなければならないという、そんな時に手を差し伸べてくれたのが、宮城野親方だった。

 

「今日も親方のおかげで土俵に上がれます。あリがとうございます。」

 

白鵬は、初土俵を踏んで以来欠かさず、

心の中で感謝の言葉を呟いてから土俵に上がるという。

 

以上のことは、

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大庭大業 著「白鵬の脳内理論」を読んで知った。

 

大庭大業さんは

平成24年から白鵬のトレーナーをしている方。

横綱の一番身近にいる人物、と言って良い。

そんな方が、横綱のいわゆる裏事情を書いている。

読んでみた。

 

数々の記録を打ち立ててきた大横綱

称賛の声とともに、

「厳しすぎる」

「勝てばいいのか」

横綱としていかがなものか」

そういう批判がある。

そして、今現在夏場所を休場中、

来場所に進退を賭ける、という。

 

相撲は日本の国技である。

神事でもある。

その頂点に立ち、のみならず、

巨人、大鵬、卵焼きの大鵬関の優勝回数を追い抜いた大横綱

白鵬

 

白鵬を取り巻く状況がずっと気になっていた。

 

例えば

・・・・・・・・

今度こそ優勝、横綱昇進という稀勢の里関ファンの機体が日に日に高まりました。

そして、13日目、二人が全勝同士で激突する大一番を迎えました。

朝、稽古を終えて横綱と二人きりになった時、その表情を見た私は驚きました。

なんとも不安そうな、迷いに満ちた顔をしていたのです。あんな表情を、それまでも、それからも、私は見たことがありません。

(中略)

・・・のめった稀勢の里関の頭を右手で抑えてねじ伏せ、大熱戦を制しました。

その瞬間、国技館を包んでいた歓声はため息に変わりました。(白鵬の脳内理論より)

(私も大きなため息をテレビの前でついた1人でした)

 

大鵬の優勝回数に追いつき、追い越した時期もそうだったが、

この時もダヴァジャルガルは苦悩の只中にあったという。

「強い人っていないんだよ。『人生って、戦う敵より大変だ』というね。生きていくっていうのは、戦う敵よりも大変だという意味なんでしょうね。・・・・・目に見えないから」

メディアから非難されて苦悩している時期に、あるテレビ取材の際に語った言葉だという。

 

また白鵬は、相撲をやめようか悩んでいた若手力士に

「力士は誇り、日本の宝なんだよ」と、諭したという。

 

私が、大庭さんのこの本を読んでよかったことは、

白鵬関は誇り、日本の宝」

と思えたことだ。

 

来場所の白鵬関をしっかり観たい。

 

散歩しすぎで痛んだ足を労りながら、考えた。

散歩をした。

 

畑が広がる田舎道や

田植え前後の畦道等々

 

気になることがあった。

 

地上にも水の中にも

生き物の気配がほとんどしないのだ。

 

空からは鳥の鳴き声が聞こえてきて

見上げるとその姿を見ることもあるのだが

問題は地や水に生き物の気配がまるでしないと言うこと

 

もう一つ気になったことは

農薬の噴霧器で散布しているのを何回か見かけたこと

 

かつて

農薬は「農毒薬」なんだ

と言う話を聞いて なるほど

と思ったことがある。

だから今はこれだけ「安心・安全」が言われているのだから

「農薬」というものは年々使われなくなり、「無農薬」や「減農薬」が

主流になってきているのだろう、と思い込んでいた、

だから当たり前のように散布している光景に驚いたのだ

 

でもどうやら「農薬を使わない、減らす」ということはとても大変なことらしい

奇跡のリンゴの木村さんの著書を読んだときに

「農薬を使わないりんご栽培」に至るまでの壮絶な道のりに唖然としたのだが、

林檎だけではなく、現在の農業で農薬を使わないということはとても大変なことらしい。 

 

農薬は害虫や病気から農作物を守り生産性を維持する大切なもの

どうやって守るかというと

害虫や病原菌に成仏していただくということ

害をなすものがいなくなり農作物は守られ、生産性は維持される。

生産性が維持されなければ、就農人口の維持にも関わってくるのだろう。

一筋縄でいかないのが、「農薬」の問題のようだ。

 

しかし「経済」と別な視点で問題点を考えてみれば、

成仏してしまうのは「害虫や病原菌」だけではないというところにあるのではないのか

「農薬」は万遍なく生き物に影響を及ぼす

 

生き物の気配が感じられなくなったことと「農薬」とは

関係があるのではないか

 

ヤマザキマリの漫画に

オリンピア・キュクロス と言う作品がある。

古代ギリシャに住むデメトリオスという主人公が

1964年と2020年の日本にタイムスリップしてきて・・・

という話なのだが

2020年の東京で彼は驚く

 

何だろう・・・・・・

56年前のトーキョーポリスとは別世界だ・・・・

こんなにたくさんの人がいるのに人が人じゃないみたいにみえる・・・

溢れるような“もの"が人間という生き物を

呑み込んでいる・・・

 

古代ギリシャからタイムスリップしてきた彼は

2020年の東京に

生き物の気配がしないことに驚いているのだ、私は思った。

 

水俣病

その歴史の初期、無辜なる人々に激烈な死をもたらした水俣病

 

やがて「公害」は薄く広く満遍なく広がり、人間社会を漂白し、

人間の中の生き物性に緩慢な死をもたらしていった。

今人間は

内外ともに

生き物を失ってきているのではないだろうか

外側の自然にも

内側の内臓にも

そして感性にも

 

人間の内部の自然も

外部の自然も

多様性を許容できない環境になっているのではないだろうか

 

散歩しすぎで痛んだ足を労りながら、

そんなことを考えた連休最終日でした。

高橋一生は別格である、なぜなら・・・

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天国と地獄

最終回は泣いた。

たぶん、全国の多くの人と一緒に。

 

しかし、飲んだくれは怒っている、

なんなんだぁいったい今のテレビ番組というものはぁ。

なんで、どいつもこいつも、

10回放送で終わってしまうんだぁ。

制約が、在りすぎる。

 

なんで、

望月彩子が、次々

コマーシャルにでてくんじゃぁ。

コマーシャルがうざすぎる。

 

おめえたちよぉ脚本家や俳優の方たちに、

素手でコンクリートを掘らせるようなことすんじゃねえよぉ

 

しかしだ、

飲んだくれは感動しているのだ。

なんと、

素手でコンクリートを掘ってしまっているではないか。

 

高橋一生という俳優がいる。

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綾瀬はるかという女優がいる。

柄本佑という名脇役がいる。

・・・・・

一人では無理な荒事を

みんなで成し遂げてしまった、と私には思えた。

 

みんなで成し遂げたその中心にいるのは、

高橋一生だ。

今回の番組で私は確信した。

それは「凪のお暇」の時も、

うすうすは感じていたことだ。

しかし、「凪・・・」の時は、黒木華がいたがために、

高橋一生の、魂をひそかに揺さぶる神的影響力に、

うかつにも気づくことができなかった。

もちろん、黒木にも、

綾瀬にも、

それはあり、

だから彼らが渦立てるものがたりは、

あまりの制約の中でさえも、

見る者の魂をゆさぶる。

 

しかし、高橋一生は別格である。

高橋一生は、その本来の意味での「俳優(わざおぎ)」なのだろう。

 

「わざおぎ(俳優)」

わざ(神意)をおぐ(まねく)者

神様を楽しませる者

神様をなぐさめ、鎮める者

 

俳ー手を外に向けて、体を広げるような開放的で激しい動き

優ー手を内に向けて、顔を伏せるような内向的で静かな動き

(以上、shirokuroneko.comより)

 

高橋一生の内からあふれる、激しい、静かな渦が、

向き合う者の俳優(わざおぎ)の魂を呼び覚ます。

 

そういうことが現場で起きていたのだろう。

故に、「凪のお暇」は類まれな大傑作(個人の感想です)であり、

「天国と地獄」は、制約在りまくりの中で作られた脚本ではあったが、

傑作となったのではないだろうか。

 

高橋一生

目の離せない俳優である。

 

 

 

 

 

 

「ふと」って最強?その1

人為

その反対語は?

 

なんでしょうか。

 

唐突ですが、

西洋人は自然を支配するべきものとして認識し、

東洋人は、自然を、そのなかで生きるものとして認識している、

風なことを訊いたことがあるのですが、

今は、

日本人こそ、自然から遠く離れて生活しているのではないか、

ということを最近強く思ったのであります。

 

理由はこうです。

 

日本人、勤勉。

いいことです、ですが、

勤勉ということは、人為、満載。

人為?

そのイメージは、

 

やります!!!!

ええ、やりますとも、

24時間働きます。

そのつもりで、働きます。

がんばらないわけにはいかない。

だって、やる気が大事。

モチベーション必須。

そういうビジネス書、ちょっと前は、流行っていたのではないでしょうか?

 

まぁ、それは、過去の遺物だとしても、

::::::::::

願望ですよ、人間は。

願望を宣言しましょう、

そうしたら世界はあなたの宣言をかなえます。

いや、世界は、あなたの世界なのです。

あなたの世界は、あなたが作っているのです。

あなたの意思が世界を創っている、

そのことに気がつきましょうよ。

 

自己啓発系の書物によく書かれているフレーズです。

スピ系ですな。

あなたはあなたのままでいい、

そこからはじまって・・・・・・

それはそれでいいのだと思うけれど、

結果、騙された人はたまったものではありません。

 

私は思います。

 

意志や意図が今の世界のドラマを作ってきた

のだけれども、

意図しない、

不図(ふと)ということが、

これからは重要になってくるのではないでしょうか。

 

ふと、そう思う、

ふとそう感じる、

ふと思い立って、

ふと、

意図はそこにあった!

 

「ふと」

それはとても有益なキーワードになると感じている。

 

次回は具体例も交えながら、

そのことについてもっとわかりやすく書きたいと思います。

 

山下泰裕の背中

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三船十段です。


まったく

興味がないのだが、

五輪の会長云々の話、

なんでこんなに騒いでいるんだろう。

見たくもないが、

家人がニュース好きなので、

ふと見てしまったのだ、

山下泰裕のせ・な・か

悲しい思いが、きたよ。

 

山下と言えば、

柔道のヒーロー。

エジプトのモハメド・ラシュワンとの試合は、

強く記憶に残っている。

強かった、かっこよかった。

道家泰然とした雰囲気で、すてきだった。

 

あれから、37年たった、

わたしは、飲んだくれのまま、歳をとった。

年月が過ぎたのは、山下泰裕にとっても同じで、

けれど、ひさしぶりにみた彼の背中には、武道家という雰囲気は、

なかった。

 

なんだ、これは、

なんなんだこれは、と思った。

衝撃だったのだ。

 

山下は、稀有な柔道家だったと思う。

しかし、柔道は山下に、

偉大な柔道選手としての経歴は残すことは許したが、

偉大な柔道家としての山下を残すことはしなかった。

 

山下は、広い意味で、

政治家になったのだと思う。

 

 

かつて、

嘉納治五郎が、

柔術を誰もが体験できるものにしたいと考えたときに、

柔術は政治の論理の中に投げ込まれ、柔道として、政治の論理の中で成長した。

山下は、それを一番確かに体現した人物なのだ。

選手としても、人柄も、その他も、

言うことなしだ。

しかし、

久しぶりに見た、

彼の背中に、武道家の背中は、

なかった。

 

山下は、

やりたいことをやっているのだろうか。

柔道という政治の中で、

彼は頂点を極め、

輝いた。

私は彼が好きだった。

誠実に一つのことを追い求め、

ひたすら努力し、その天才を発揮する。

その姿を見ることが、好きだった。

だが、たぶん、

政治と、柔道という政治はイコールではなかったのだろう。

そこに、彼の背中の寂しさ(私の主観)があった、

と私は思う。

 

若き嘉納治五郎が感嘆した、

日本武術の妙なる技、

それをより多くの人々に、

伝えたいとした嘉納の天才。

その結果の一つが、

山下の偉業であり、山下の背中の寂しさである。

 

わたしは、会長は誰だ、の

マスコミの騒ぎに全く関心がなかったが、

山下が、会長にならなくてよかったと思っている。

 

いったい、なにをしたいのだろう、齋藤某氏

斎藤某

有名である。

 

斎藤某とは同じ年だ。

身体論という興味も同じ。

しかし、飲んでばかりの私と違って、才能を努力であふれさせ、

縦横無尽に、執筆し、語り、行動する、斎藤某氏は、一種憧れであった。

 

さて、その方が、私と同じ習い事を一時期なさっていたことがあるという。

どんな方だろうと興味をもって、御著書を読んできたが、

なるほどとおもえるのは、初期の著書だ。

誠実で、確かだ。百を一に表している。

 

しかし、有名になってからの次々の著書には、

野心が前面に出ていて、とまどった。

 

おこちゃまなのか、このかたは。

あなたがいうことは、しごくもっともなのだけれど、

むりでしょ。

 

その理由を今日は考えたい。

 

多分、本当には、

人は人のことがわからない。

 

けれど、

「人はみんな自分と同じ」と割り切った時に、 

「人という抽象的なモノが、存在する」と、仮定したときに、

 

こうしたら、いいよ、こうしたら、あなた、しあわせになれるね、さあ、やってみよう、

 

というようにものをかけるのかなぁ、わたしにはわからないんだけれど。

 

才能がある人が人の役に立つ、その方法は、

すごくたくさんあるのだろうけれど、

疲れるんだよね、きっと。

斎藤某氏。

周りがです。

 

 

 

 

菅総理とか、トランプ前大統領とか‥‥


不思議だ。

企業のニュースは、企業名。

それなのに、政治のニュースは個人名。

菅とか、トランプとか、何やら騒がれている。

どうやら、弱っているから、ここぞとばかりの攻撃が、

激しいらしい。まぁ、やる方はいい気になっておるのですな。

 

おーい、飲んだくれ!

また奇をてらって、うけようとしているな。

菅総理とか、トランプ前大統領とか、ひでえやつじゃないか。

悪い奴は、批判されるのも、もっともなことじゃないのか?

 

いや、ポジさん、

私が言いたいのは、

政治って、個人がよく取り沙汰されますが、

個人が政治をしているわけではないですよね、ってことでござんす。

 

ござんすって、飲んだくれ、あんたふざけてんのか?

政治は個人の力量だろう?

 

ポジさん、

そう思われがちですが、

実はそうではないんです。

総理になったって、大統領になったって、

後ろ盾あっての話しだし、後ろ盾が動かしているともいえるのです。

 

それは会社と全く同じ、

言ってはいけないけれど、

ある意味では、同じなのではないでしょうか。

 

飲んだくれ、言いたいことはわかる。

会社のことなら、俺にも少しはわかる。

偉くなればなるほど、自分の思い通りにはならないようだな。

 

そうなんです、ポジさん。

ましてや、「国家」なんです。

個人どうとかの話しではないんです。

 

じゃなんだい、飲んだくれ、

菅総理とか、トランプとかを、

批判しちゃいけないってことかい。

 

いや、批判していいのですが、

政治には、メディアには表れない、

様々な力が蠢いているっていうことを、

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あと、北の太ったあの男とか、、、、


認識しての、戦略的批判であればいいのですが、そうではないと、

この国際的な危機は、乗り越えられないのだろうと思うのです。

 

たしかに、菅総理の言葉には、感情が感じられないかもしれない、

トランプ前大統領は、過激な発言と行動をしていた、

しかし、ヒトラーは、すごく演説がうまかったし、

穏健だったオバマ元大統領のもとでの国際紛争は、

実はとても多かった。

 

私が言いたいのは、個人を批判して、

それで世の中が良くなっていくのであればいいのですが、

個人を批判しても、なにもよくなっていかないのだろうということです。

 

じゃ、どうするんだっていうことですが、

いいと思う人や集団を、何らかの形で

応援する、ということが有効?

なのかと思っています。

 

ベストとは思ってはいませんが、

私は、がんばってほしいです、

もう少し、菅総理に。