来し方⑩ ~学校真っ二つの頃

今日は舞踏の稽古日

のはずだが、いまだ緊急事態宣言中。

なのでおうち時間、書きませう、ブログをば。

さて

今日の話題は、仕事を始めたころの職場界隈のお話。

わたくし、養成学校をやっとの思いで卒業して(いろいろつらかったです)、

晴れて王立小学校の教員になりました。(すみません、公立でした)

その頃のことを思い出すと、いやはや大変面白い時代でありました。

すでに日教組という労働組合に入る人が右肩下がりに減少していたのですが、まだ存続はしていて(あ、いまもあるか)公権力は組合対策にこんな手を取っていたんですね。

それは組合員を一か所に集めるという手(分散していたら、その学校ごとに組合員がなんか言うから面倒くさい)です。

私は市内でも数少ないそんな学校の内の一校に赴任いたしました。

おもしろい学校でした。

校長は朝から校長室で酒を飲んで、出てこない。(午前中はほとんど顔を見たことがなかったな)勤務時間を過ぎると用務員室で酒盛り等々、書き出したらきりがないです。

そうそう、4月1日赴任初日から「今日はドンがあるから来てね」と飲み会のお誘いでした。(ドンはヨーイドンのドン)

行ってみると男だけ(しかもほとんど組合員)の飲み会で、みなさん、一癖も二癖もありそうな方ばかり。

いやぁ、うれしかったです。

当然組合に入るよね、と後日誘われました。

私、組織嫌いなんです。なので、渋っていたのですが、結果翌年には分会長(職場の組合のまとめ役)をやる羽目に。

で、いろいろあったんです。

なかでもおもしろかったのは、学校真っ二つ案件。

私が分会長になって数年後、組合潰しで有名なこわもての校長が赴任してきました。

その頃は組合がゴタゴタしていて、相当弱体化している時でしたし、歴戦の勇士たる先輩職員の方々も転勤し、ほとんどいなくなっていました。

戦々恐々としていた私でしたが、やってきた校長は「若いのに偉いね。」などとやさしい態度です。要求にも柔軟な返事が多く、(あれ?なんかちがうな)と感じていたのですが、それは巧妙な手でした。

その次の年、力になってくれていた職員が多く転勤し、かわりに「校長いいね!」の方々が入ってきました。もちろん、校長の態度もガラッと変わります。

しかし、組合員VS校長派というわけではなく、組合員ではなくても私の言動に賛成してくれる職員はいました。だから、校長いいね!派VS校長いやだな↓派、でしたね。

私は当時体操部の顧問でしたが、校長いやだな↓派の教員は体操部に多く所属し、校長いいね!派のおひとりが水泳部の顧問で、そちらにその派の方が多くいました。

さらに面白かったのは、運動会の赤白です。教員も赤白に分かれるのですが、なんと

校長いやだな↓派のほとんどは紅組に、校長いいね!派のほとんどは白組に配置された運動会案を見たときはびっくりしました。

いやぁ、例年以上に、運動会は熱戦でした(笑)

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今年の運動会の多くは中止だろう、悲しいな。

今からは考えられない時代だったと感慨深いです。

子どもたちにはたくさん迷惑をかけたけれども、得難き時代でした。