清志郎のお別れ会に行ったわけ?

いつものパターン。

その繰り返し。

私は世界にどう向かい合っているのか。

 

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おなじことをおなじようにすることは大事。

繰り返しの中にこそ、微妙な差異の醍醐味がある。

 

でも、それが根本的に間違っているとしたら、

どうしたらいいのだろう。

 

そもそも、根本的に間違っていたのかどうか、

判断できるのだろうか。

 

私は困っている。

偽りの分量がいかほどだったのか。

 

もちろん、偽りを含めて、

真実だってことは、わかっているつもりなのだが、

納得がいかない。

 

そう、納得がいかないのだ。

 

楽しみにして購入した漫画が、

おもしろくなかった、

というレベルではないので、

こまっている。

 

いや、あすになればそんなきぶんもちがうものになっているよ、

そうかもしれない、

でもそれは、妥協、打算、事なかれ、

なのかもしれない、という思いは、

たぶん繰り返し訪れるだろう。

 

だいじなことは、

人生を全うできるかということ。

 

己の人生、全うしたい。

全うしたい。

何をもって全うと言えるのかはわからない。

 

でも、思いは、

全うしたい。全うしたい。全うしたい。全うしたい。

全うしたいのだ。

全うしたいのだ。

 

まだまだ、間違いをたくさんしながら、行くしかないのだろうか。

 

困った。

 

あ、

 

いまわかった。

なぜ私が、清志郎のお別れ会に行ったのか。

心の奥底で清志郎のようになるんだ、と感じていたのだと今気づいた。

 

やさしさはなに?

と、悩んだ清志郎

 

有り余る愛をどこに向けたらいいのか、

わからなかった清志郎

 

世の中の理不尽が、悲しかった清志郎

 

これからでも遅くはないと思った。