2009年5月3日
RCサクセションのボーカル
忌野清志郎が亡くなったことを知りました。
RCを知ったのは、大学生の時でした。
声が特徴的で、好きだったけど、
騒がしい奴らが出てきたもんだ、
くらいにしか
思っていませんでしたが、
誤解だったと知ったのは、シングルマンを聴いた時でした。
どの曲も良かったけれど、やさしさ と云う直球勝負のようなタイトルの曲
https://www.youtube.com/watch?v=phr0QFqFtUE
ずるい、ずるい、ずるい、と
ずんずん胸にきたものでした。
でも、特にファンになるわけでも・・・。
ところが、4年生の時に一緒に教育実習をした人が、
清志郎の大ファンで、ずるい私は、
「いやぁ、いいよね、清志郎!#&%$*・・・・」
などとほざきまくるのでありました。
(はい、その方の気をひきたかったのでございます)
まずい、まずいですよ、俺は清志郎のメジャーが何であるかを、
知らない。
その方、「私、トランジスタラジオが一番好きかな。」
俺、「そうだよね、あれがやっぱり、最高だよね。」
早速、田無の寮に帰って、「PLEASE]を聴きなおす。
俺も「トランジスタラジオ」、一番好きになりました!
その後も、清志郎が、タイマーズやらニーサンズ(?)で歌っている、
とは何となく知ってはいたけれど、それくらいでした。
サイクリングにはまっていたり、自転車の盗難にあったりしたこと。
癌になったと聞いた時は、
清志郎だから、大丈夫だろう、くらいにしか思わなかったし、
回復し、コンサートを開いたと聞いた時は、素直にうれしかったけれど、
その程度でした。
清志郎は死なないと思っていた。
だから、訃報を知り、
9日に青山まで清志郎に会いに行って花を添えた時まで、
夢の中にいるような感じでした。
5時間くらい並んで、
清志郎に会ったのだけれど、
その時も実感はなかった。
ちょうど私の献花の時、
最高だね、と言ってしまった
「トランジスタラジオ」が流れてきた。
なんだろうな、清志郎は。
有名人のお別れの会とかに行ったのも、それが初めてだし、
今後もたぶんないと思います。
久々に清志郎のことを思い出したのは、
最近出た、「使ってはいけない言葉」という、
忌野清志郎、デビュー50周年記念企画の本を読んだから。
そのなかから
・・・
気の合う友達って
たくさんいるのさ
今は気づかないだけ
街で
すれちがっただけで
わかるようになるよ
「わかってもらえるさ」から