今、社会で生きている人たち。
その人たちの総数を人間社会とするならば、
人間社会を継承するのは、身体(からだ)の記憶である。
人は人をまねすることで人になっていく。
なに、
人はみな物まね芸人なのか?
ちがいます、
物真似芸人ではありませんが、
物真似をすることで、
人は人になっていく。
でもこの物まねは分析的じゃないのです。
まるごとなのです。
まるごとうつしとっていく。
赤ちゃんは、
周りの世界を、
舌で、肌で、感じ、
身にうつしていく。
鼻で、耳で、目で、
世界を、うつしとっていく。
視覚からの情報は、
成長するにつれ、拡大し、
成人後は認識のほとんどは視覚から、となるのだが、
幼いほど、舌や、肌の感覚が重要です。
以上を前提にすると
小さい子にマスクをさせることは、
世界認識を妨げることになる、ということになるのではないでしょうか。
さらに
マスクをした保育士が常に小さい子と接する、
ということはどうなのでしょうか?
小さい子は目で見たことよりも雰囲気から外の世界を把握するのだから、
保育士がマスクをしていても、問題ないのでは?
そう思うでしょ、でも、
違います。
マスクをすると、マスクをしている人の雰囲気が、
外に表出しないのです、半分以下です。
口元や首、ほほ、あご、それらの動きはマスクをすることで、
かなり制限される。
マスクをした人は本来のその人ではない。
いうならば、制限されたその人にとどまるということです。
抑え気味。
ですから、
物真似名人の幼児は、
抑え気味の大人の物まねしかできなくなる。
人の情感、情緒、感情の機微、
そういったことが、
かつての良き時代(いつの時代じゃ)に比べると、
現代は相当失われてきていると思われますが、
マスクはそれをさらに見えなくしていくでしょう。
情感、情緒、感情の機微の危機。
おおげさではなく、
マスクをしながら、幼い子と関わるということは、
そういう危機の可能性があるということも考えた方がいい。
ということを今回は言いたかったのであります。