田村由美の仕事観(かなり飛躍した推理ではあるが)ミステリと言う勿れの整くんのセリフから 

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「ミステリと言う勿れ」

田村由美の漫画だが、

こんな言葉が出てくる。

主人公 整(ととのう)くんのセリフだ。

・・・・・・・・・

お店とかに入ると

いつも思うんですけど

 

テーブル イス この鉄板

ガラスのコップ お皿

お箸 箸袋

全部

違う人たちが作ってるんだよなあ

・・・って

 

このメニューも

印刷した人

そのインクを作った人

紙を作った人

 

調味料を作った人

容器を作った人

 

このお肉を育てた人

さばいた人

 

その刃物を作った人

すべてを運んだ人

 

全部違うんです

 

建物自体だってそうです

さらに

それらを作る

機械を

作る人

ネジ一つ一つを作る人

 

きっと別々です

すごくないですか?

 

いつからそんな風に

たくさんの仕事ができたんだろう

 

どうやって見つけて分け合ってきたんだろう

 

それがここに集合してるって

 

奇跡みたいなものだと思うんです

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とても面白い漫画だが、今日はその話ではない。

 

ちょっと前まで、

物を売りにくる人たちがいた。

 

娘がまだ小さかった夏、

近所を散歩していると、

歩いてアイスキャンディを売っているおじさんがいた。

娘に買ってやろうと、

おじさんにアイスを二つ頼むと

結構アイスの値段が高く、

つい

「そんなに高いんだ」

と言ってしまった。

おじさんは、「うちのアイスは、そこいらへんで売っているアイスとは違うんだ!」

と怒ってアイスを首から下げていたボックスの戻してしまったので、

味わうことができなく、娘にも申し訳なかったのだが、

それ以上に、おじさんを怒らせてしまった事を

後悔している。

スーパーとかではもっと安く買えるのだが、

おじさんのアイスキャンディーを、

楽しみに買う人が少なからずいたのだろう。

 

楽しみにしていたといえば、

近所に牛乳を売りに来ていたこともあった。

「牛乳、新鮮な牛乳はいかがですか!」

という声が聞こえてきたので、

娘と2人で見にいった。

すると、車で牛乳を売りにきていつおじさんがいたので買ってみると

その牛乳は、とてもおいしかった。

それからしばらく、

娘1人で買いに行ってもらったりしていたのだが、

声がしても数回行かなかったら、

いつの間にか来なくなった。

このこともちょっとさびしい思い出だ。

 

その頃のことだと思う。

車で行くとなんでもないところなのだが、

とても勾配のきつい坂道があった。

その坂道で、自転車で豆腐を売るおじいさんを、よく追い越した。

朝、6時台だったと思う。

自転車の後ろの荷台に大きな木の箱をつけ、腰にはラッパを下げていた。

70後半はゆうにいっているおじいさんだった。

しかし、その自転車を漕ぐ足取りはとてもしっかりしていて。

自転車と、荷台と、ラッパと、荷台と、おじいさん、

豆腐屋になりたての頃から、ずっとその風景はあったのだろう。

この人も豆腐はとても美味しいのだろうな、と思った。

ついにその人の豆腐を食べることはなかったのだが、

今も、おじいさんの豆腐屋さんはあるのだろうか。

 

みんな、つい25年ほど前の話である。

なんでこんな話を、整くんの話の後に書いたかというと、

田村由美も、

もしかしたら、

今はなくなってしまった職業を思い、整くんのセリフがあったのではないかと

ふと思ったからだ。

その根拠は、

田村由美とわたしはほぼ同年代だからだ。

 

物を作る仕事、それを売る仕事、

自分が作ったものが、人の喜びになる。

自分が売ったものが、人の幸せになる。

そんな、

仕事の、

尊さ、

面白さは、

今もきっとそれぞれの場所で、

それぞれの人に、

訪れているのだろう。

そんなことが、

この歳になって少しだけ、

わかるようになった。