おとことおんなのあいだには

今更ながら、

びっくりだ。

 

ここではあえて、

おんなとおとこのちがい、

といっておこう。

 

昔より、

おとこは夢を見、

おんなは現実を見るといわれているようだが、

それは本当だと、はげしく実感した。

 

私はいままでも、

実感し続けてきたが、

今回は身に染みて、

全開で実感してしまった。

 

おとこはおんなと生活をともにし、

我慢することを覚えた。

といっても、おとこはもともとわがままだったので、

我慢することを覚えて、

よかったのだろう。

 

おとこは飲んだくれであったために、

おんなの、現実を見る目がなかったら、

破滅していたであろう。

 

そのことはしみじみと、

かんじている。

 

おとこは自分の身を律することが、

できずにいたが、おんなをはじめ、

たくさんの人の温かさに助けられた。

 

そして今、じぶんのじんせいののこりすくないことを、薄々感じている。

人生は、あっというま、かどうかはわからないが、

じぶんの今までの人生は、あっという間だった。

だとしたら、これからの人生はもっとあっという間であろう。

そのあっというまをどうするのか、

というはっそうをするのが、

おとこであったが、

おんなは、

のこりのながいじんせいにふあんのないように、

どうたくわえるのかをかんがえるらしい。

正しい思考だ。

正しいと思う。

しかし、

おとこはただしさだけではいきられない、

と知った。

 

今大事なことは、

今生きているということを感じ、

できるならば、よろこびながら、

いまいきている、

ということだ。

 

しかし、おんなのだいじなことはそうではないのだろうか?

そうであるのかとも思うが、それ以上に大事なことがあるようにも思う。

 

わからない。

 

ずっとわからないのだろうか、おたがいに。

それも、わからない。

 

おんなの価値観、

それはだいじにするべきことかもしれないが、

おとこはおもう。

 

自分を生きなければ、生まれてきた意味がない。

おもうぞんぶんやってみたい。

 

おんなはそうはかんがえないのだろうか。

 

できることならば、

おとことおんなの、

みぞをうめたい。

 

おとことおんなのあいだには、ふかくてくらいかわがある、

だれもわたれぬかわなれど えんやこらこんやも

ふねをだす

ろーあんどろー

ろーあんどろー

ふりかえるな

ろー

 

中略

 

おまえとおれのあいだには

ふかくてくらいかわがある

それでもやっぱり

あいたくて

えんやこら こんやも

ふねをだす

 

後略

 

黒の舟歌

の歌詞の一部だが、

 

深くて暗い河があっても、

それでもやっぱり合いたいのか?

 

わからない

 

あらためてわかったことは、

 

おとこはゆめをみ、

おんなはげんじつをみるということだ。

 

それはそれでいいだろう。

 

おんなのだいじにする、

げんじつをうけいれることはできないが、

それは、おんなをだいじにしないということではないようなきがする。

 

わからないが、

おとこもたくさん考える必要があることは感じてはいるのだろう。

 

かんがえてみよう。