不安感を指数にしたら、今は、どうなのだろうか?

新型コロナ。

正しく恐れることが大事、

と言われるが、

正しく恐れる人のイメージってどんなだろう?

とか、思ってしまうが、

今日の書きたいことは、そうではなく、

不安、

のことだ。

不安を感じるのは、とりあえず、

脳だろう。

突飛な考えかもしれないが、

今を生きる万人の脳に、

変化が生じたと考えたらどうなるのだろうか?

 

不安を感じやすいような脳に、変化していたとしたら、

新型コロナを必要以上に恐れるのも、

マスコミだけの影響ではなくて、

なんらかの脳への影響があるから、と思ってしまうのだ。

 

それがなんなのかはわからないのだが、

これだけ、いろんなことが、ちょっと前とは違ってきているのだ。

例えば、

命の危険につながる水の量による被害、

命を奪う熱中症を引き起こすほどの気温、

そして、

今までの思考では理解できない、

異常な犯罪(例えば、秋葉原殺傷事件や、やまゆり学園事件など)

 

もちろん、歴史を紐解けば、

生命を失う可能性や、

人権への侵害は、

今とは比べ物にならない、

そういう時代がずっと続いてきた、

ということはわかる。

 

しかし、思うのだ。

もし、不安を測れる機械があるとしたら、

今現在が、最も高い数値をはじき出すのではなかろうか。

 

もちろん、困難を感じることと、不安を感じることは大きく違う。

困難を感じることは、歴史上、今が一番少ないのかもしれない。

 

でも、不安に関しては、感じている指数、史上最高なのかもしれない。

 

(うむ、へりさんやポジさんが突っ込んでこないところを見ると、

よし、よし、まだ、調子には乗っていないな)

 

では、なぜ、不安がいっぱいなのだろう。

根拠はないが、

脳が、不安を感じやすいものに、変わってきていると思えてならないのだ。

 

わからない。

だって、時代は、科学技術が進んで、

生活は便利になって、

いろんな新しいものが生活を彩り、

寿命だって、伸びている。

 

テレビをつけると、画面の中で、みんな大笑いしているか、

歌って踊って、元気いっぱいだ。

でも、それは、いつの時代も同じことで、

今、特筆することではないのだろうか。

 

わからない。

 

人が恐れているのは新型コロナウイルスなのだろうか?

それとも、ひとの「目」、世間なのだろうか?

多分、その両方なのだろうとおもうが、

かつて猛威を振るったという

スペイン風邪の時は、

一人一人の不安指数はどうだったのだろうか?

数値に残らないことなので、

なんとも言えないのだが、

とても気になるところだ。

 

私自身に関して言えば、

個人的な不安は、

年齢と共に、少なくなってきたと感じる。

でも、周りに感覚を転じると、

かつてより、明らかに、

センシティブになっているように感じられるのだ。

 

かつては、おれだケェ、

という、まぁ青春特有の、

病気みたいなものだと思っていたが、

 

今は、

お互い様、

 

みんな、

お疲れ様!

 

と感じてしまう。

 

そして、

そう感じながらも、

人に身構えてしまう。

 

不安なのだ。

 

そのことの意味はなんだろう?

 

そのイメージが掴めて、言葉にできるといいのだが。