初夢
正月の2日に見る夢のことらしい。
なぜ、元日ではなく、2日なのか。
多分だが、元日だと、初もうでで人混みに疲れてしまったり、
親戚まわりで飲みすぎてしまったりで、夜はぐっすり寝てしまう、
ぐっすり寝てしまうと、夢を見ることはあまりないから、
「あーーーー」俺は初夢を見ることができなかったぁと、
正月早々絶望する御仁を少なくするための、
古の方の知恵だったのだろうか。
では、3日に見た夢は初夢と言わないのだろうか。
というのは、諸般の事情で、2日に夢を見なかった、というご仁も多いのではないか、
そう思うからである。
いや、
俺は元日も、2日も、3日も夢は見なかった、
というご仁はどうしたらよいのか。
その年最初に見た夢を、初夢、と言ってはいけないのだろうか。
そこいら編の事情が、私、薄学ゆえに全くわからないのだが、
へりさん、一つ頼みます。
へりさん、
へりさん?
まさか、
この自粛正月にお出かけではあるまいな?
あ、
今日は、そうか、もう正月ではないのであった!
家人も、早く家を出ていったし、
そうか、へりさんも今日から出勤なのね。
仕方ない、この謎は解けないままなのだが、
3日に私が見た夢というか、夢の中で感じたことを、
初夢と決めて、少しお話したい。
・・・・・・・・・・・・・
初夢の内容は支離滅裂であったので、ご披露することはできないが、
自分がマッパマンになってしまっていて、あれまぁ、これはこまった、
早く服のあるところに戻らなければ、と焦りまくりながら、
いろんな部屋に入っていってしまうという奇天烈な夢だった。
いろんな部屋に入るのだが、
見られてはいけない、という意識がとても強く、
ひたすらその部屋の出口を探し、逃走するというパターンであった。
しかし、だ。
恥ずかしいのだが、恐怖はなく、
まずい、とは思うのだが、満たされている。
それがどこにあるか、というのはわからないのだが、
マッパマンの私は、やわらかくこまやかでみずみずしいなにかと、ともにあったのだ。
自分の中か外かもわからないのだが、
そういうやはらかいものと共にある感覚はずっと、
あった。
・・・・・・・・・
それは普段は夢の中でも、なかった感覚であった。
そんなことから、
年末年始ゆっくりして、のんびりしたときに見る夢だから、初夢は大事にされるのかなぁ、
などと思ったのである。
仕事の身体になっていると緊張が寝ていても取れず、
夢であっても、現実の縛りから離れられないのかなぁ、
などとも思った。
今一度、あの時の感覚を振り返ってみると、
あやういもの、
尊いもの、
それが等価で、
共にある。
それを自分が包んでいるのか、
自分が包まれているのか、
あいまい。
よくわからない感覚だったのだが、
忘れてしまうことはとってももったいないと思って書いてみた。
お付き合い、ありがとうございました。