昨日の原初舞踏の稽古

昨日の原初舞踏の稽古

10年近くやってきた舞踏だが,

一番大切なところをわからないままにして続けてきた,ということがわかった。

 

「自分は何者なのか」その問いとともに,立つ。

そういう稽古を,昨日はした。

 

稽古内容の説明を,先生がされた。

いや,これは説明ではない。

只事ならぬことをおっしゃっているんだと,感じられた。

私は圧倒され,

そして,それに向き合おうと思った。

テクニックではなく,

覚悟を持って臨もうと思った。

 

「自分は何者なのか」

その問いとともにただ立った時,

先生も同時に,

「あなたは何者なのですか」と問うている。

何かが流れ込んできた。

私は泣いていた。

 

なんだろう,これは。

自分の生に真摯に向き合ってこなかった後悔の涙?

自分の生を生ききれていない,生きたいという希求の涙?

わからないが,何かが湧き上がってきて涙になる。

 

なんでなく俺。

泣くなんて全く予定外だろう。

そんな意識とは裏腹に,

嗚咽状態の俺が立っている。

でも次の所作をしなくては。

次は,一歩踏み出して「我ここにあり」と言挙げする。

でももうどうやったって,できないだろう。

できない。

一歩が踏み出せない。

全身全霊で,踏み出した,はずだが,

ごまかしが混じった。

今はとりあえず,これが自分の限界なのだろう,全てを受け入れて,また一歩踏み出す。

どうにか,また一歩踏み出すことができた。

そして3歩踏み出した時立ち止まり,内在の踊りが始まる。

これが舞踏なのか

 

とてつもなくわかっていなかった。

10年近くやってきた,

10年かかってしまった。

ようやくスタートできるのかな。

いや,スタートさせないと自分の生に申し訳ない。

自分の聖に申し訳ない。

 

昨日の稽古までは,

避けて済ますための言い訳ばかりを繰り返していた。

 

先生に出会ったこと。

曲がりなりにも,10年続けてこられたこと。

それはこのためだったんだな,

ということが朧げながら,

みえてきた。

そして,先生の思いに思いを馳せることが,少しはできるようになったかもしれない。

昨日の涙は,

その思いに応えてこなかった,

自分の情けなさに対する涙であったかもしれない。

 

私は大馬鹿だから,

道に迷うこともたくさんあるだろうけど,

誤魔化したり,見ないふりをしたりすることは,もうできない。